他大学の同級生

新人戦で舞台に立った面々とは、その後の大会で会う度に「よお」ぐらいの挨拶はかわすようにはなった。ただ、練習場にお邪魔して一緒にトレーニングさせてもらったのは東京大学のB&W部のみで、鹿児島出身の長谷場、舌をペロペロしながらヘビースクワットをこなす天貝とはよく話した。長谷場とは部の運営について飯田橋の喫茶店で熱く語り合ったが、今思えば大人目線でこちらに付き合ってくれたのではないかと思う。今は鹿児島で予備校を経営しているのだが、行きつくまでには苦難の道があったようだ。彼は1年後輩の杉山(法政大学)の後塵を拝して全日本学生は2位であったが、独特のポージングは観客や審査員までも魅了した。当時の社会人ビルダーのバルクには及ばないが、これぞ学生ボディビルと言えるフィジークだった。フリーポーズの曲はムソルグスキーのなんとかという曲で、クラシックをポージングの曲に選ぶセンスの良さもあった。

天貝は理系の学部所属で、学究肌の男だった。無口でシャイなためか、試合会場で会ってもニヤニヤしながらボソボソと話す程度だったが、とても心優しい男だった。練習の秘訣について尋ねたが、地道にコツコツがモットーの彼には秘訣など無かった。その彼が急逝したのを、確か20代の時に知った。詳しくは書かないが、人としても友人としても得難い存在を失ったショックは大きかった。

パワーリフターとして学生時代を終えた自分だが、2年生まではボディビルの大会をメインにしていたせいか、ビルダーの友人の方が多かった。同じ階級に筑波大学の後藤選手が名城大学開催の全日本学生で優勝し、つくば市に帰る前に自分の実家に立ち寄ってくれたのだ。少々を無理をさせてしまったようで、筑波大学ボディビル部の納会に間に合ったのかどうか・・・。30年以上経過した今も謎だ。ただ、卒業後の付き合いは全くなく、おそらく彼は社会人になってからはバーベルからは離れたと思う。秋の大会時に自分の所へ来て「なんだ4年の秋にも出てるんだあ~」と冷やかしていった彼の身体はずいぶん細くなっていたから。

一番付き合いの度合いが高かったのが明治大学のボディビル部。同期の丹野は新人戦で同じ舞台に立った。フィットネス業界に就職したが、数年して神奈川県警に入ったと聞いた。今、どの署にいるんだろう。宇山は小柄ながらポージングの上手さで上位に立っていた。お調子者の彼だったが、陰では血のにじむ努力をしていたであろう。彼の卒業後は全く分からない。

思いつくままに書いてみたが、顔は覚えていても、名前が思い出せない人が多く、ここに掲載することは避けた。自分と少しでも関わりのあった人は随分多いのだと、今更ながら感じた。


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