捨てても構わないモノを捨てることが出来た!

本当の人生再出発!に続き本当の人生再出発(改)と題して過去にブログをしたためたのだが、人生の再出発ということは決して退職前とは違う業界の仕事を始めるだとか、それがたとえ正社員採用であっても、それらを称して人生再出発とは言うことはできないと気が付いた。

前回、乳製品のデリバリー会社に正社員採用され云々という話をアップしたのだが、この会社からはすでに退職(入社辞退扱い)し、今はピザのデリバリーという仕事に従事している。もちろんアルバイト採用であり、正社員が受けるであろう会社からの諸々の福利厚生は皆無である。

果たして人生の再出発とはいかなるものか?それは、パッと思い浮かんだ言葉で表すのであれば、過去の自分との決別だと言える。その過去の自分とは何か。大学という比較的守られた社会にどっぷりと浸かり、実際の社会の厳しさをほぼ全く感じることなく、おまけに思い上がりも甚だしいが、それらが当たり前だと思っていた自分、である。

8月から長々と就職活動を行なってきたが、おそらくこの境地に達するために活動していたのだと思えるのである。もし、他者から、たとえその人が信頼のおける長年の友人であったとしても、プライドを捨てろ的なアドバイスをもらっても右の耳から左の耳であったろう。つまり人は、特に自分という人間は、自身が動いて考え、悩み、また考えることをしないことには何にも気がつきえないと思えるのである。

東京に住んでいた頃に知り合ったフランス人のバーテンが今は神戸に住んでいるのだが、彼に久しぶりにFacebookにメッセージを送ってみた。近況報告に過ぎなかったのだが、ピザ屋のヘルメットをかぶりスクーター乗った自身の画像を送ったところ、何故その仕事を選んだのか?何か事情があるのか?と意外そうなメッセージが返信された。大学職員という、彼にとっては高次元の職に就いていたのに、何故に君がデリバリースタッフか?と言いたいのだろう。英文が良い意味で不完全で、口語的なのだが、そのような気持ちが読み取れたのだ。これは彼に会って話す必要があると感じた。さあ神戸に行こう!

さて、ピザ屋の仕事であるが、デリバリースタッフの仕事は超アナログである。ある寿司屋のデリバリーは専用のアプリで注文者の指定する住所まで誘導してくれるらしいが、ピザ屋は大きな地図が壁に貼ってあって、極力信号機を通らない道を選択するのである。そして注文者の指定住所の近くにきた時に初めてGoogleマップで再確認するのである。若いスタッフの話では、こんなやり方で大丈夫か?と思ったらしいのだが、ひと月も走ると身体が覚えてくれるそうだ。当たり前のことだが、定期的に注文するお客さんが多いのであれば、デリバリー先はそうそう多くはないのではないかということ。その内、名前を見ただけで住所が目に浮かぶぐらいになれば、デリバリーにストレスは皆無になるはず。なかなか面白くなりそうな予感だ。

繰り返しになるが、やはり自分には前職時代から後生大事にしてきた捨てても良いようなプライドが就職活動の邪魔になっていたのだと思う。そう考えると、正社員採用であっても、もちろんコロナ感染の後遺症もあったが、退職することを選ぶなど、どんな世間的に良いと思われる仕事に就いても、どこかモヤモヤしたものが心の中に巣くっていて、なかなか突き抜けなかったのだ。今の自分のマインドが突き抜けたものになっているのかはわからないが、モヤモヤした何やらは去っていてくれたように思える。

今言えること。人生の再出発は、世間的に良いとされる就職先を見つけることではなく、これまでに知らず知らずに見に付いた捨てても良いプライドや虚栄心を剥がし去ることでスタートすると言える。同じこと3回も言ってるわ(笑)