初動負荷トレーニングでの気づき

 傍から見ればいつも同じ動作の繰り返しに見えるトレーニング種目であっても、取り組んでいる本人からすれば、毎回違うことをやっているわけで、ほぼ100パーセント同じ動作にはならない。

また1レップ、1レップ動作に違いが出ることも当然。たとえばスキャプラを右側20回やるとして、1レップ目から20レップス目まですべからく同じ動作ではない。必ず軌道のズレやスムーズさが失われるレップもある。 

 初動負荷トレーニングジムには多種多様のマシーンが並んでいるが、自分の場合、取り組んでいる種目は基本4種目のみ。スキャプラ+ぺルビスとクラビクル+ヒップジョイント。この組み合わせをせいぜい1時間余りで終え、余力があれば動きにそれほど工夫が必要ない、つまり1レップ目から20レップス目まで、ほぼ同じ動作で完了できる種目を選んで軽くやる。

 以前は上半身なら30レップス、下半身なら40レップス以上こなしていたが、今日のトレーニングからせいぜい20回+αに変更。高回数を重ねることで、筋肉に乳酸が多少発生し、トレーニング後に筋肉の硬化を感じるからだ。これは初動負荷トレーニングで得たい効果からはかけ離れている。

 ジム内に1セットの回数が15回から20回と掲示されているのは、説得力があると今更ながら実感。

  このトレーニングを開始して1年半ほど経過したが、一般的なウエイトトレーニングで起きる筋肥大はほぼない。だが、以前は股関節の可動域が狭くて、ヒップジョイントのマシーンで正しく着座することが難儀だったが、今ではちょっと腰を浮かせば体勢を整えられる。スキャプラのおかげか、以前より肩甲骨の内転外転動作に柔軟性が戻ってきた。加えて、上体の左右差を感じなくなった。股関節も内旋の動きが上半身とうまく連動してできるようになった。

 惜しむらくは、右ひざの怪我が無かったら、パワーリフティング競技にも活かせたはずだということ。今はただ、初動負荷トレーニングにひたすら取り組むのみである。

 

動画で種目名とその動きを見てください!

現実を受け入れることへの無駄な抵抗をやめた日

正社員採用という、願ってもない車販売会社へ就職できた。還暦過ぎた自分には過ぎた待遇だと思った。それでも、やるべき仕事には一所懸命取り組んだ。今までになく真剣に、真摯に。でも、恥ずかしながら1週間の勤務で身体が悲鳴を上げた。言い訳がましくて恥ずかしいが、求人内容には車両の回送が日に6,7台と聞こえのいい文面が並んでいた。だが、実際に仕事に入ってみると、午前中は車両洗車と室内清掃で立ちっぱなし。午後も似たような感じで、車を運転できるのは15時以降が関の山。その時間帯には下肢がしびれ、殿筋が悲鳴を上げ、背筋がパンパン。一晩で回復しない。結局、定休日の月曜日に退職を決め上司に連絡。やはり、こちらの動きが良くないことを見抜いていたようだ。

翌日火曜日はとりあえず出勤しないで、社長からの連絡を待つように指示を受けた。とりあえずショートメールを社長に送信し、折り返しの連絡を待った。社長は昼飯の時間帯でさえ電話に追われている。こちらか架電するのは仕事の邪魔になるからだ。

社長も上司同様、こちらの具合がよろしくないことを見抜いており、退職の意向を受け入れてくれた。ただ、ご近所さんであることもあるので、今後も良好な関係を保ちたいとのこと。社員さんは皆明るく、良い人ばかりで、相当気を遣っていてくれていた。こちらが初めての職場で緊張している以上に、新人に気を遣っていたはずだ。こういう得難い環境から去るのはもったいない気がしたが、それより自分の身体が大事。社長からはどのような対応をしたらよいか社労士と相談の上、再度連絡するとのこと。

さて、退職の顛末は以上の通りだが、翌日になって急に気持ちが落ち込んでいることを実感した。この落ち込みは一体何なのかと問いかけてみた。結論を得るまでに2日ほどかかったが、結局のところ肉体的な衰えを受け入れずに、頑張れば何でもできると自分を過信していたことに行き当たった。還暦過ぎて61歳。若い頃、鍛えまくった肉体があるとはいえ、その貯金はそう長くは続かない。そうなんだ、もう60過ぎの単なるおじさんなのだ。これが現実。その現実の受け入れを、ずいぶん前から拒否してきた自分。思えば、職場の同期が40代で「もう、いい年齢なんだから無理できないね」と言っていたのをせせら笑っていた自分だが、おそらく老いに対する恐怖心の裏返しだったのだろう。

現実を受け入れる。簡単なようで難しい。特に自分のような自信家、過信家にとってはそうだ。まだ完全ではないが、老いという現実を少なくとも以前よりは受け入れられた気がする。いや、もう若くないと気が付いたのだ。そう、もう若くない。

幸い、一度は断った血液製剤運搬の仕事に再度応募し採用になった。この仕事では立ちっぱなしはあり得ない。派遣会社の担当者もそれについては担保している。一部、階段を上がらなくてはならない施設もあると聞いたが、2時間もかけて上がる階段などないはず。今後はこの仕事に専心したい。日本語教師資格取得のための勉強はなんとか両立できるだろう。

このブログを書いているうちに、気持ちがさらにおさまってきた。頭の中であれこれ考えるより、考えを文字化することが大事だと思う。実は退職を伝えた月曜日以降毎日ノートに自分の思いを毎日書き殴っていたのだ。

ノートに書くことをジャーナリングというらしいが、この手法は実は大学生時代にすでにやっていた。大学のボディビル部に所属していた私は日々のトレーニングメニューの他に、部員とうまくいかないことや、将来への不安なども書き綴っていた。そのトレーニング日誌は大学卒業後も引き続き書き続け、今も自宅に保管してある。今読み返してみると、若い日にさまざま思い悩んだ自分に会うことができる。日記はたった1行でもいいから書いてみると良いと思う。

 

やっと落ち着きました

前職を退き実家に戻ってから多難な3年間だったが、この3月から正社員として働き始めることとなった。その会社は自転車でせいぜい5分の距離。これまで車通勤を念頭にIndeedなどで職探しをしていたが、こんな近くの会社に勤務することとなり、驚いている。

仕事はレンタカーの回送。届け先によっては積載車にレンタカーを載せて運ぶこともある。積載車は私の持つ普通免許で運転可能だが、左折時に内輪差に気を配らないと信号待ちの歩行者を轢いてしまう。右折時は比較的楽だが、内輪差を考慮して交差点中心にある誘導線を正しく踏むのが基本。まださすがに運転はさせてもらえない。ただ、運転はできても、会社の駐車場にバックで駐車するのが最大の難所だと思った。

会社の前の通りは比較的交通量が多いし、下校時間帯には自転車通学の高校生もいる。いざとなったら整備工場前に駐車して、経験者にお願いするのが得策だ。何事も無理しないのが良い。

面接時に驚いたのだが、社長のお子さんを学校まで迎えに行く仕事が業務であるということ。家族的な会社であるが故の公私混同ではないかと感じたが、夕方3時過ぎに迎えに出るのであれば、回送の仕事は実質午前に2本ぐらい。午後も2本ぐらいで終わってしまう。こんな条件のいい仕事でそこそこ給料が良い。つくづく運がいい男だと思う。

ただ、車を運転するということは、それだけ事故に遭う、事故を起こす可能性があるということ。自社所有のレンタカーに傷をつける、一般車両との接触事故などはともかく、人身事故だけは避けなくてはならない。死者が出てしまえば、私の人生終わりだ。社長のお子さんを車に載せて走ることも、お子さんの命を預かっているわけで、これは相当神経すり減らす仕事だと言える。

もしかしたら、同じぐらいの給料でもっと気楽な仕事がないわけではないが、やはり車を運転する、積載車にレンタカーを載せる、など少しばかりワクワクすることを仕事にできるのって幸せだと思うのだ。

ひとまず、この仕事に一所懸命取り組むことだ。トレーナーの仕事はしばらくペンディングしておき、日本語教師資格試験突破の勉強だけは継続していく。これで、やっと落ち着いて仕事と勉強に取り組める環境が整備されたと思う。たまの日曜日の出勤は辛いが、働けるだけ幸せだと思うことにしよう。