無事大学を卒業し、めでたく法政大学に職員として就職した。当初、消防か警察を考えていて、それならば実家のある愛知県に戻ろうと思っていた。警視庁と母校しか内定がなかったのだが、伯父(愛知県警OB、元予科練)の一言でやめた。その一言に父も母も一言も無かったのだが、いつも一緒にいる父母以上に僕の性格を見抜いた伯父の凄さを感じた。「お前は正義感が強過ぎる。そういう人間は警察には向かない」だった。この言葉からさまざま連想できるが、既に鬼籍に入った伯父に聞く術もない。正義感が強くて殉職し易い?正義感が強すぎてグレーゾーンを飲めない人間には厳しい世界?おそらく、俺のような性格では警察社会では潰されてしまうという意味だったのだろう。今考えても、警察行かずに良かったと思えるのだから、伯父に感謝しなくては。
細かな記録の変遷は次回以降に記すとするが、大学4年間で基礎的な身体が出来上がっていたようで、記録の伸びは顕著だった。これまで採用しなかったチーティングを利用したベンチプレスでは170キロまで押せるようにはなったが、今思うのはすべてが「怪我の元」のトレーニングだったと言える。やはりバウンドさせる(特にベンチプレスでは)やり方は、特に肩関節に著しい不可となる。疲労がまたっていれば胸筋断裂も起こしかねない。胸筋は意外と疲労が溜まりやすい部位で、定期的にセルフマッサージを行なったり、鍼治療院で胸筋がバーンと震えるぐらいのレベルの鍼を打ってもらったものだ。
スクワットはベルトだけで220(225だったか?)キロまで立つことができた。ただ、スーパースーツやニーバンテージの利用についてはそれほど真剣に取り組むことがなかったため、装着しても記録がそれほど稼げたわけではなく、やはりどこかジムに所属していればと後悔している。つまり、パワーの選手としてたった独りでトレーニングしていたのである。
デッドリフトはスナッチ式のフォームで随分練習を積んだ記憶があるが、200キロぐらいは引いただろうか?でも、試合で採用するのは相撲スタイルだったので、このフォームでヘビーウエイトを扱えるフォームを追求すべきだったと言える。試合では245キロまで引いたのだが、ピーキングで240を失敗して臨んだ試合での記録で、引いた後驚いたことを覚えている。
なんだか、後悔満載の内容になってしまったが、これからもし指導する、指導できる立場に立ったならば、自身の遠回りパワー人生を教訓に、極力無駄のないトレーニングを若い気人たちに示していきたいと考えている。
近年、ボディビル大会とは別の審査基準のフィジークコンテストが盛んだが、所謂「細マッチョ」ではない綺麗なプロポーションと端正な顔立ちの青年たちがステージを彩り、華やかになったものだなと感じる。自分の学生時代のボディビルコンテストはアングラ、サブカルチャー的な香りがプンプンしていて、非常にマニアックな世界だった。もちろん私的見解だが、そんな世界からもっと一般的に知られるようになてきたことは、身体を鍛えることが特別なことではないことが一般的になることに繋がっていくものと思えるのだ。
自分は今、両膝の半月板がダメになり、パワーリフターとして復活できる道はほぼ無くなってしまった。よってベンチプレッサーとしてゼロからスタートすることを今日決めたわけである。上半身だけデカくて下半身が一般人というのは妙な体型だが、今まで自分が持っていたどうでも良いプライドやこだわりはすべて捨てて、新たな道を切り開いていこうと思います。
なんだか、所信表明になってしまった・・・。