地獄の夏合宿 その5

中日の観光日が終わると後半3日を残すのみとなり、よーし後半分!という雰囲気が部内に漂ってくる。実際、後半の午後のトレーニングはイベントが続き、マラソンコースの下見、ヒンズースクワット、そして最終日のマラソン大会で終了となる。あらかじめ、予定が発表されたので、精神的には楽だった。不安が無いと言えば嘘になるが。ただ、1名の脱走者のおかげで(という言い方が正しいかわからないが)「自分たちは乗り越えてきたんだ」という自信を得ていたことも確かで、ひとつの成功体験だと言えよう。長い人生の中で、18歳の夏のちょっとした出来事であっても、自身につながれば悪くは無い経験だ。

さて、マラソンは約20キロを走ることになった。たぶん事前にOBの車に乗り、先輩らが距離を測定したのだろう。おそらく距離については喧々諤々の議論があっただろうが、それにしても今の時代から考えると「無謀」となるだろう。1980年代はその「無謀」が「当然」だったのだ。

マラソン大会の前日の午後のイベントはヒンズースクワットだ。1,000回だったか2,000回だったか記憶にないが、100回を1セットとして何セットかを時間をかけてやり切ったと記憶している。その喜びよりも、明日はマラソンなのか・・・という思いしかなかった。

合宿中に右足の小指の皮が擦れて出血し、痛くて靴が履けない状態だった自分は、この足でどうマラソンを走るか思案した。そこで、観光日用に持参したビーチサンダルを履いて出ようと決めた。足への固定をした方が良いと思ったが、テーピングテープなっどという洒落たモノなど持っていえるはずもなく・・・。

マラソンコースは20キロ超。ゆっくり走ればいいや、ぐらいの気持ちで走り切ったが、不思議と感動は無かった。何より合宿から解放される喜びの方が勝っていたのだ。順位は後ろから数えた方が早いぐらいで、トップで到着した先輩の中にはシャツを着替えていた人もいた。

夕食は〆の宴会となることは必至で、いつもの夕食とは違っていた。全員が席に着くと、徐々に大量のビールが運ばれてきたのだった。前期の納会と親睦団体の宴会で、公式の飲み会は経験していたが、やはり合宿で酷使した身体にはビールでさえ堪えたようだ。ある先輩は酒が飲めない体質で、牛乳の一気飲みをやりまくり、会の途中から下痢になってトイレを往復していた。同期の女子はひとり泥酔して、うんこみたいな色のゲロを吐いて部屋に横たわっていた。今もあの色の正体は謎だ。その彼女とは昨年11月だったかに数十年ぶりに電話で話したが、その時聞いておけば良かった(笑)

さて、事件はこの後・・・。