地獄の夏合宿 その4

初日トレーニングは発声練習で終了となる。まず自己紹介を一人ずつ行い、2回目は自己紹介と歌を歌うのだが、発声練習であるが故に、上手く歌ってはいけない。歌が上手い部員はたぶんいなかったはずだが、それでも2年生の河野先輩は地声が良いためか、余裕で大きな声を出していた。1年生は人数こそ多かったが、3人の2年生に声の出し方で負けていた。当時はなんて馬鹿なことをやるんだと思っていたが、後々気が付いたことがある。人生の中でこれだけ大きな声張り上げる機会なんてあるのかなということ。おそらく自分自身で出せる目いっぱいだと思っていても、実際には五割程度しか出ていないこともあっただろうし、バーベルを扱う場面でも、まだまだ力を出し切っていないなと自分を戒める材料になり得た。人間、やってみて無駄なことはそうそうあるものではないなと思ったし、やっている時は無駄だと思っても、後々その価値を感じるものなのだ。

さて、初日が終わった。先に書いたが、1年生が上級生の御用聞きをする仕事はなかったので、食事が済んで風呂に入ると自由時間が得られた。風呂は4年生から順番に入るのだが、3年生の先輩らから「2,1年も一緒に入れ!」との通達があり。恐る恐る大浴場に入って行った。だが、特に3年の先輩らは1年生を気遣ってか、「今日はちょっときつ過ぎだな」「明日はもうちょい楽したいな」と、4年生が耳にしたら大目玉食らわせられそうな発言の数々。そこそこ緊張して聞いていたのだが、気が楽になったのは確かだ。しかしながら、上からと下からの鬩ぎあいであえいでいた2年の先輩は「お前ら、気抜くなよ」と頑なさは消えない。まあ、硬軟取り混ぜて1年生を盛り立ててくれていたのだろうね。そういう意味ではとても民主的な部活動ではありました。

部屋でのんびりしていたのもつかの間、上級生の先輩が「おい、S田逃げたらしいぞ」と、部屋に飛び込んできた。反応の遅い、というか、何を言われているのか全く理解できない1年は、お互いに顔を見合わせたままだった。先輩が「おい、同級生が逃げたんだぞ。放っておいていいのか!」と檄が飛び、皆飛び起きて駅方向に追いかけたのだった。この時、OBの先輩(宿の若旦那)が車で追いかけたのか、筋肉痛を抱えた1年生が追い付いて引き返させたのかは記憶に無い。正直、厄介なことしやがってというのが本音だった。記憶にあるのは、引き戻されたS田が主将のM山先輩の前に立ちすくみ、いつも穏やかなM山先輩が鬼の形相で、しかし静かに説諭していたことだった。つまるところ、「逃げるのではなく、きちんとけじめ付けて帰れ」ということだったが、引き止めなかったのは、S田を観察しての判断だったのだろう。

奴は事前合宿には来ておらず、聞くところによると、掛け持ちのサークルの合宿に河口湖あたりで楽しんできたらしかった。行きの観光バス内では楽しそうに歌を歌ったりしていたが、先輩の中には「こういう奴が危ないんだよな」と思っている方も多かったらしい。彼は翌朝、朝飯も食べずに東京へ戻ったが、不思議と喪失感などなく、逆に自分が一山越えたかのような錯覚に陥り、根拠無き自身さえ感じたと記憶している。

2,3日目を無事乗り越え、中日は観光日。筋肉痛を抱えての観光だったが、逆に身体がほぐれたのが妙だった。今思えば、さすがボディビル部で、積極的休養だったのだと今では思えるのだ。

しかし、事件はこれだけでは終わらず、最終日に・・・。