狂気の学園祭 その2

細かな警備スケジュールは省くが、警備担当の時間帯でもっとも過酷だったのは2日目、最終日の18時以降の時間帯。深夜12時で休憩(一応寝られた)に入るわけだが、場合によっては1、2時まで現場を離れられないこともある。特に各部の3年生は夜中はほとんで寝ていない状態で、朝方の比較的何も起きそうもない時間帯での仮眠で学園祭を乗り切ることになる。その点、1年生はスケジュール通りに動けばいいので、気楽と言えば気楽。

当時、法政大学の学園祭への出店はほぼ100%居酒屋だった。あれだけ居酒屋が集中する学園祭は全国の大学でも例を見ないだろう。クラスメイトで法政二高出身のF君が唯一クレープ屋を出店して3万円ほどの利益を上げたと聞いてびっくり。でも、今思えば、ピロティの下で店出せたのは何か大きな力が働いたのだろうか。初めての出店でほぼ一等地に近い場所に地割してもらえたなんて・・・。

喧嘩が起きると(必ず一晩に数件発生)警備本部に一報が入る。電話が鳴ると、警備本部に待機している自分らは、何の電話かとドキドキしたものだ。「ピロティの経済学部掲示板前で、サラリーマンと店の学生いざこざ!至急!」と号令が発せられると、待機中の半数が現場に急行。こういう場合のサラリーマンは法政OBではない場合がほとんど。考えてみればわかるはずだが、母校の学園祭を訪れ、出店に顔出すのはそのサークルのOBかOG。さすがに後輩と揉めることはあり得ない。また、店や企画で揉め事が起きれば、警備責任者と学園祭実行委員会との間で協議し、出店も企画も中止という措置が取られたため、店側も揉め事については神経過敏なのだ。

では、OB,OG以外や他大学の学生が揉め事を起こした原因だった場合はどうなったか。想像にお任せしたいが、ただでは済まなかったとだけ言っておこう。

こうして1年生での最大行事である学園祭は最高潮を迎えたのであった。