2年生になって・・・。

1年生をそれほど記録を残せないで2年生になったが、このまま地道にやって行けば良いや、ぐらいの気持ちでいたことは確か。ただ、素質抜群の新入生の存在で、なにやら日々のトレーニングにも拍車がかかった。

既にブログに書いたが、杉山理理君の入部はそこそこ刺激的だった。入部当初はそれほど太くはなかったが、肌が薄く、皮下脂肪が少ない体質なせいか、カールをやると前腕の血管が浮き出ているぐらいで、あのまま妙なバルクアップしなければ大会で良い線行けるだろうなと思った。自分も2年生になったばかりはボディビルの大会で一旗あげたいと思っていたので、尻に火が付いた感じだった。

杉山はスクワットがすごく強く、超ナロースタンスで1年生時に140キロを3,4発爆発的なスピードで立っていた。人づてに聞いた話では山登りが趣味なのか、高校時代のクラブ活動だったのか定かではないが、おそらくそれで培った足腰の強さがベースになって、あのスクワットだったのだろう。今思えば、体幹が強いタイプで、フォームにブレがないので、デッドリフトも背中をフラットに保ち、最終的には220キロぐらいまで記録を残したんではないか。関東パワーの時に220キロ引いたのを見た記憶がある。

もう一人、有望そうだったのは中山賢一君。彼は名古屋出身で一浪して入学してきたのだが、高校で僕の小学校時代の同級生と同じクラスだったことがわかり、世の中狭いものだなと実感。彼は新人戦で9位で、その後上級生になってから出場した関東学生、東日本、全日本でも安定した成績を残した。自分より下の代で法政と言えば杉山、須江の名前があげられるが、中山や須江の同期では堀之内、後藤などがいなければ、東大を数年ぶりに破っての団体優勝など達しえなかったはず。ボディビルも団体競技なんですね。

さて、自分のこと。新人戦で8位を得て「ボディビルはもういいや」みたいな気持ちになった。杉山が7位で、上をいかれたこともあったが、自分には芸術的な競技は合わないなとも感じていたことが大きい。そこでそれまで気になっていた重量挙部の門をたたくことを決意したのだった。それまで部の上級生とはトレーニングルームでそこそこ話はしていたので、入門はすんなり。ただ、やる種目はスクワットとデッドフトに限るという内容。しかしながら、あの道場の雰囲気はそれまでの味わったことの無い緊張感満載で、自分がどう振舞っていいのか迷ってしまった。

ボディビル部に居れば、記録的には一番強かったわけだが、それでは井の中の蛙に陥るばかり。自分より強い人がいる世界で自己研鑽に努めてこそ、バーベルの世界に入った意味がある。当時は重量挙部の計量級の選手と一緒にスクワットをするありさまだったが、56キロ級で190キロのスクワットをする沖縄出身の先輩がいたりして、度肝を抜かれまくりだった。


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