捨てても構わないモノを捨てることが出来た!

本当の人生再出発!に続き本当の人生再出発(改)と題して過去にブログをしたためたのだが、人生の再出発ということは決して退職前とは違う業界の仕事を始めるだとか、それがたとえ正社員採用であっても、それらを称して人生再出発とは言うことはできないと気が付いた。

前回、乳製品のデリバリー会社に正社員採用され云々という話をアップしたのだが、この会社からはすでに退職(入社辞退扱い)し、今はピザのデリバリーという仕事に従事している。もちろんアルバイト採用であり、正社員が受けるであろう会社からの諸々の福利厚生は皆無である。

果たして人生の再出発とはいかなるものか?それは、パッと思い浮かんだ言葉で表すのであれば、過去の自分との決別だと言える。その過去の自分とは何か。大学という比較的守られた社会にどっぷりと浸かり、実際の社会の厳しさをほぼ全く感じることなく、おまけに思い上がりも甚だしいが、それらが当たり前だと思っていた自分、である。

8月から長々と就職活動を行なってきたが、おそらくこの境地に達するために活動していたのだと思えるのである。もし、他者から、たとえその人が信頼のおける長年の友人であったとしても、プライドを捨てろ的なアドバイスをもらっても右の耳から左の耳であったろう。つまり人は、特に自分という人間は、自身が動いて考え、悩み、また考えることをしないことには何にも気がつきえないと思えるのである。

東京に住んでいた頃に知り合ったフランス人のバーテンが今は神戸に住んでいるのだが、彼に久しぶりにFacebookにメッセージを送ってみた。近況報告に過ぎなかったのだが、ピザ屋のヘルメットをかぶりスクーター乗った自身の画像を送ったところ、何故その仕事を選んだのか?何か事情があるのか?と意外そうなメッセージが返信された。大学職員という、彼にとっては高次元の職に就いていたのに、何故に君がデリバリースタッフか?と言いたいのだろう。英文が良い意味で不完全で、口語的なのだが、そのような気持ちが読み取れたのだ。これは彼に会って話す必要があると感じた。さあ神戸に行こう!

さて、ピザ屋の仕事であるが、デリバリースタッフの仕事は超アナログである。ある寿司屋のデリバリーは専用のアプリで注文者の指定する住所まで誘導してくれるらしいが、ピザ屋は大きな地図が壁に貼ってあって、極力信号機を通らない道を選択するのである。そして注文者の指定住所の近くにきた時に初めてGoogleマップで再確認するのである。若いスタッフの話では、こんなやり方で大丈夫か?と思ったらしいのだが、ひと月も走ると身体が覚えてくれるそうだ。当たり前のことだが、定期的に注文するお客さんが多いのであれば、デリバリー先はそうそう多くはないのではないかということ。その内、名前を見ただけで住所が目に浮かぶぐらいになれば、デリバリーにストレスは皆無になるはず。なかなか面白くなりそうな予感だ。

繰り返しになるが、やはり自分には前職時代から後生大事にしてきた捨てても良いようなプライドが就職活動の邪魔になっていたのだと思う。そう考えると、正社員採用であっても、もちろんコロナ感染の後遺症もあったが、退職することを選ぶなど、どんな世間的に良いと思われる仕事に就いても、どこかモヤモヤしたものが心の中に巣くっていて、なかなか突き抜けなかったのだ。今の自分のマインドが突き抜けたものになっているのかはわからないが、モヤモヤした何やらは去っていてくれたように思える。

今言えること。人生の再出発は、世間的に良いとされる就職先を見つけることではなく、これまでに知らず知らずに見に付いた捨てても良いプライドや虚栄心を剥がし去ることでスタートすると言える。同じこと3回も言ってるわ(笑)

本当の人生再出発!(改)

以前のブログで「本当の人生再出発!」と題してアップしたのだが、実際には乳製品のデリバリー会社へ正社員採用となったため、この仕事をメインに生活して行こうと、つい最近決めたのです。

この仕事は土日祝が全くの休み、社会保険、その他福利厚生が行き届いており、始業は8時と早いが、18時前には上がれそうな職場。こんな恵まれた諸条件だが、社会貢献できる業務でもあるところに惹かれたというのが就職を決めた本音と言えます。

乳製品をお配りするお宅は高齢者宅が多く、毎日の配達時に所在確認を行う。これまで数名の方の命を救ったという実績があるらしい。実は、母親が夏の暑い時期に部屋で孤独死しており、もし、同じようなデリバリー会社があったならば、母も亡くなってから1週間も部屋で放置と言う事態には至らなかったはずと思うのです。そうなれば、火葬前の顔を拝むことが出来たはず。母への罪滅ぼしではないが、意義のある仕事に就くことができたのは、母の力が働いたのかも知れないですね。

さて、土日祝を全くの休みにするということはしたくないので、当面ピザーラのデリバリーを行なうことにしました。時給1,100円で愛知県の最低時給額1,027円より高い。多少の昇給も期待できるし、アクティブな仕事ではあるけれど、ほぼスクータの運転であり、膝の酷使にはなら無さそうであるというメリットがある。寒い時期や雨の日はきついだろうが、やってみる価値はありそうです。

この2本立てでやって行こうと決めた矢先、エニタイムフィットネスの求人が目に入りました。パーソナルトレーナーの募集です。ダメもとで応募したのですが、面接を受けることに。こちらの希望、つまり土日祝のみ稼働できる旨を打診したのですが、平日もできる人でないと採用できないと言われ断念。

ところで、エニタイムフィットネスの店舗は近隣に数店舗あるのですが、それぞれフランチャイズであり、同じエニタイムフィットネスであっても、異なる会社のエニタイムフィットネスなのです。「エニタイムフィットネス」で検索してみると近隣に数多くのエニタイムフィットネスが点在しており、おそらくこれらもフランチャイズ店舗であり、求人内容もそれぞれ。

で、近隣の2店舗(岐阜市、江南市)が「週1日から」と言う文言を掲載していたので、これだ!と思い、2店舗に応募。1店舗(岐阜市)からは返信があり、質問事項に解答を終えたところ。もし、この店舗で働くことになれば、ピザーラで働くことは不可能。これも残念ではある。

大学生の時、売り手市場だったこともあり(バブル期)、たいして真面目に就職活動をしていなかった。若気の至りで「そのうちなんとかなるだろう」的な気持ちで、それでも警視庁と母校の法政大学に内定したのだから、運が良かったのでしょう。

だが、今は違った。NSCA-CPT受験のためにオンラインスクール(大学在籍時)で受験勉強を開始し、早期退職後は2か月を毎日7時間強図書館での勉強に充てた。今思えば、あれほどの集中力をよくぞ保てたのだと、自分を褒めてやりたい気持ちです。

8月から再就職活動を開始して半年余り。ようやく安堵できる。いや、安堵した結果気が抜けたらしく、ある日発熱したため病院に行ったところコロナ感染が判明。8日から12日まで自宅待機となってしまった。13日には再検査し、陰性であれば翌日デリバリー会社の入社手続き、ピザーラの研修と続く。エニタイムフィットネスの採否はどうなるかわからないが、働くことと同時並行で活動して行こうと思います。

退職後はパーソナルトレーナーとして食って行こうと決めていたので、諦めずにやって行こと思います。


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本当の人生再出発!

退職して半年余り。やっと生活が軌道に乗りそうな感じになってきた。実は今頃タクシー運転手として市内を走っていたであろう自分は今はおらず、市内のスポーツジムの水泳とトレーニングジム担当として研修中であり、加えて17日から整体師として研修が始まるのです。これは柔整や鍼灸などの国家試験資格の有無は問わないもので、自身も施術を受けて効果があった手技を施術師としてお客さんに施すことになるのです。ジムは研修中でも給与は発生しますが、整体師は店舗デビューするまでは無給で、デビューしてからもお客さんが付かなければ無給です。業務委託契約ですので、年末に申告しなければなりません。ジムはアルバイトでも福利厚生面は正社員と酷似した内容で、本格的に勤務することになれば社会保険に切り替えです。今は国民保険でなんとかやっているとことです。

タクシー会社を辞したのは、やはり自分がやりたいことではなかった、というのが正直なところです。もちろん昭和の負の遺産のような教習所の教官連中に辟易したことは単なるきっかけで、お客さん載せて車を走らせることに不安を感じたというのもあります。

2日で辞めたことが、同時進行していたスポーツジム関係の採用活動が終わってしまったという悲しい出来事もありましたが、2023年中に方向性だけは決めることが出来て、年明け4日からスポ―ツジムは仕事初めとなったわけです。仕事と言っても研修中なので、会社のポリシー動画を何度か観て、あとは肉体労働で、プール脇にあるジャグジー用の浴槽の掃除でした。レジオネラ菌の発生が最も厄介な案件で、プールを抱えるスポーツジムは水質保全に心血を注いでいると言って過言ではないです。もちろんジムの器具の不具合も事故が起きれば大問題ですが。

一方整体師ですが、背骨をバキバキさせる類の施術ではありません。知らない内に凝り固まった身体の各所を少々痛いやり方で解し、剥がし・・・。東京在住時にお世話になっていた代々木の「漢方赤ひげ堂」では陰指圧という手技で、筋肉の深い所に刺激を与えて緩めたり、スパズム、ミュートと言われる腱や靭帯にへばり付いた塊を散らす治療を受けていました。この陰指圧治療に通じるものがあると思っています。まあでも、実際の研修を受けてみなければ、その奥義についてはわからないわけで、不安もあるけれど興味津々ではあります。

さて、昨年8月あたりから就活を開始しましたが、当初は何故だか正社員に拘っていました。ですが、新しいスタートを切る2つの仕事はアルバイトと業務委託。よくよく考えると、ある程度休みの自由度が高いのではないかと思うのです。ジムは毎月仕事に入れる日を申請しますので、例えば1週間どこか海外にでも行きたい時は休みにすれば良いし、整体師は業務委託ですので、週に3回勤務の縛りがあるとしても、1週間休むことは正社員ほど難しいことでは無かろう。そう考えると(考えているだけで実際どうなるかわからん)これからの生活をとても明るく考えられるのです。

前の職場(私立大学職員)の同期で同時期に退職したE君がいるのですが、彼はもう働かないそうで、この面で話が全く合いません。彼はボランティア的なことをやっていくらしく、金を稼ぐことはしないようです。でも、働いてその対価を得るということをしないでいては、老人まっしぐらな気がしています。彼は外国語が達者なので、それを活かしてみるという道は考えなかったのかなとも思いますね。自分は大学職員の世界以外にバーベルの世界に身を置いていたことで、退職後にNSCA-CPTの資格を取り、この資格があったことでスポーツジムに採用されたと思っていますので、外国語、特に英語ができるのであれば、中学生程度の英語であれば充分教えられるのではないかと思うのです。彼はせっかくの自分の強みを活かせていない、勿体無いと思います。もちろん、他人様の人生ですので、面と向かってとやかく言うはずもなく、ボランティアでリア充してますと云う彼を顔は笑って、腹は冷ややかに見るしかないのです。

あと数日で59歳になるわけですが、果たしてこの年齢の自覚は全くありません。思えば50歳になるまでの数年間は非常に不安な時期であったと思いますが、今60歳を前にして似たような不安は全く無く、逆に60代の自分に期待しようという気持ちになっています。

自分のトレーニングも大事です。幸い市内には24時間営業のジムがあり、翌日のシフトが午後であれば、遅い時間にでもトレーニングできそうです。若い頃のような超ヘビー^ウエイトを使うことは叶いませんので、倉吉の長田ジムで教わった手法を使って、目的の筋肉にダイレクトに重量が届くよう頑張ってみようと思います。

人生再出発の日

いよいよ10月30日が地元タクシー会社への入社日。人生の再出発と言うと大げさだが、他に何か適当な言葉が見つからない(笑)だが、土用期間であるため、新しいことを始めるには適切ではない時期。大事なのは気持ちの持ちようなので、あまり気にかける必要もなかろう。だが、土用期間開けの単独で乗務開始する日を初日とすることにした。これで上手く行きそうだ。

それより大事なことは長期続いた就職活動がいよいよ終わりを迎えるということだ。やっと心の平穏を得られる。この間、心ここにあらずの精神状態が続いていた。大学を退職後はゆったり海外旅行でも行こうかと考えていたが、4,5月の2か月をNSCA-CPT試験の勉強に費やし(無事資格取得)、実家に戻ってからは就職活動のみならず、庭の樹木石撤去と駐車スペース工事、部屋の内装修繕が断続的に続き、海外旅行どころでは無くなった。だが、タクシー会社へ就職したら、もう1週間連続の休みなど取得できないだろうし、おそらく海外旅行など、生きている間に二度と行けないのではないかと残念な気持ちだ。

さて、パーソナルトレーナーとして働く道はどうなったかと問われると、業界の動向を見誤ったとしか言えない。ベンチャーの世界であるパーソナルトレーナー業界に、60歳近い人材はそぐわないようだ。また、資格取得のために入学したスクールを持つパーソナルトレーナージムの面接では、この採用責任者には俺は好まれないだろうな、と直感したものだ。ただ、どうして不採用だったのかはいまだに不明で、モヤモヤしたものが残ったままだ。

しかし、俺は一体あと何年生きられるのだろう。何か使命を果たすために生まれてきたのであれば、残りの人生はそれを果たすために生きたいと思うが、何が使命なのかもわからない。タクシー運転士がそれなのかもわからない。わからないまま前に進んでいくだけしかないのか。

実家に戻って三か月半ばの今

6月28日に東京から実家のある愛知県一宮市へ戻り、三か月ちょっと経過した。身体の細胞が80日で入れ替わると聞いたことがあるが、それに倣うならばもう完全にこちらの生活に身体が馴染んだことだろう。それと同時に新生活の基盤も固まりつつある。というのは、8月から開始した就職活動がいよいよ終わりを迎えようとしているからだ。

ずばり、地元のタクシー会社の運転手になることが決まった。法政大学在職中に、すでに名古屋市内のタクシー会社の内々定を戴いてはいたのだが、資格試験のために内々定を蹴った。気が変わったら連絡してくださいのメールは戴いていたが、その会社にお願いするのも気が引ける。また、勝手知らない名古屋市内を走るのは不安がある。結局、帰省時によく使っている地元のタクシー会社に応募した。

当初はNSCA-CPTの資格を活かして、パーソナルトレーナーの職を得ようと多くのジム(パーソナルトレーニング専門)応募したが全滅。資格試験突破のために入学したスクールの母体となるジムへも応募したが、お情けで一次選考は通過したものの、二次の面接で撥ねられた。面接時の感触は決して悪くなかったのだが、メールで不採用の返事が着た時には「ああ、やっぱりか・・・」という思いもあった。でも、スクール出身の応募者なのだから、テンプレートそのままのメール文ではなくて、どういう理由で不採用なのかは伝えて欲しかったと思う。

しかし、今思うのは、50代でいくら資格があるとはいえ、これまで未経験のトレーナーの仕事に就くのは至難の業で、50代でトレーナーになったというそのスクールの実績も、おそらくトレーナーの経験者ではなかったかと思うのである。世の中甘くないということをヒシヒシ感じたこの2か月であった。

そうは言っても、トレーニングに関してもっと自分のトレーニングを追求したいという気持が強いということに気が付いたことは収穫だった。若い時のようにヘビーウエイトを扱うトレーニングから離れ、これまでとは違ったトレーニングに移行しなければならない現状で、効果的と思われるトレーニング手法に巡り合ったこともあり、それを学び活かしていくつもり。これについては10月中に鳥取県まで遠征する予定。

だが、トレーナーの仕事は諦めておらず、アルバイトとして私営のフィットネスクラブのジムトレーナーや公営の体育施設の監視員などにも携わるべく、就職活動を継続中だ。

さて、庭を排して駐車スペースを作った件は以前のブログでも書いたが、この度、そこに住まう車が納車の運びとなった。当初はスズキのスイフト・スポーツを狙っていたが、契約前になって一転、スバル(以前は富士重工業)のフォレスターXBreakを購入することになった。スイフトは6速マニュアルでメーターは260キロまであり、スパルタンな走りが楽しめるものとウキウキだったが、その日の夜中に気になっていたフォレスターを検索する内に来店予約をしてしまい、数ある中古車、新古車の中から唯一ホワイトボディのフォレスターの購入を決め、昼過ぎに購入契約を交わしてしまった。その後スズキの販売店へは謝罪に訪れたが、担当者の方は相当ガックリな様子だった。ただ、その車両に興味を持った方が他にもいるらしいと耳にし、多少なりとも気が休まる思いだった。

納車は10月17日。駐車スペースは道路から建物まで5mという距離を考えると、フォレスターの全長4.64mは悠々ではなくギリギリだと思った方が良いだろう。駐車方向はリアを建物側にする予定。家の前を東方向に出て、そこから西方向にバックしながらスペースに入れるやり方が最もやり易いだろう。何のことかわからない人ばかりだろうけど、ここは俺が分かれば良い(笑)

いやはや退職して1年も経たないうちに第2の人生のスタートに付けた。二種免許の取得は10月30日からなので、それまでのモラトリアム期間を有意義に過ごしたい。先に述べた鳥取遠征と再度上京し、同期の奴と飲み会だ。もう外で飲むのは寒いだろうから、501にMA着て備えよう。

購入したフォレスター

2か月ぶりの東京

感じたことを、その記憶がなるべくフレッシュな内に書き留めておきたいとは思うが、思いがまとまらないまま書き始めるのと、日数が経過して記憶が曖昧になってしまう恐れのはざまでいつも揺れ動くのである

家の庭石樹木撤去と駐車場設置工事が竣工したことと、本命のパーソナルトレーナージムの選考に落ちたこともあり、これが一区切りかなと思い、東京へ向かった。

その前日の土曜日に上京し、まずは30年以上お世話になった理髪店に出向いた。ここは以前住んでいた(36年)杉並区のとある街にある。予約時間に訪れると、いつものように主人が迎えてくれた。やはり、上手い!右の前額部の毛の生え方に癖がある俺の髪の毛なのだが、なんの苦も無く左右対称に刈ってくれた。やはり歯医者と床屋は長年のかかりつけに限る。

その後、電話鑑定ではお話ししていた先生の対面鑑定のために新宿へ向かったが、日にちと時間を間違えていて、さてどうしたものかと思ったが、受付女性の機転で10分後に鑑定していただけることになった。

鑑定の内容はさすがにここに書くことは避けるが、先生からは俺の肌が綺麗で、手相の力強さを相当褒めていただき、非常に自信を深めたことだけは書いておく。また、体力が非常に充実しているとのことで、それを示すかのように翌日日曜日の飲み会は昼の3時から夜の12時までの9時間に及んだのです。でもこれはちょっとやり過ぎかなと反省(笑)

さて日曜日の飲み会。前日の深酒もあって、昼前にやっと起床。麦茶1リットルをジワジワのみ、シャワーを浴びてすっきりすると、ようやく宿を出る気になった。待ち合わせには1時間以上もある。東京在住時から気になっていた、待ち合わせのパブの近くのタイ料理屋で昼飯を食べた。エビチャーハンとラッシーだけの軽い昼飯。深酒を考慮した上での量だが、もう一皿行けたかもしれない。食べているうちに胃が回復してきたのだ。

2時には店に到着。一番熱い時間帯だが、40度近い真夏日が続いた頃とは違っていて、ときどきヒンヤリした風が吹いてくれるのはありがたい。正直、冷房の効いた部屋はあまり好きではなく、酒を飲むならば多少汗ばむ環境の方が好きなのだ。もちろん真冬でも道路席で飲んでいたのだが、今から思うとよく風邪ひかなかったと思う。

待ち合わせしたのは同時期に早期退職したE君。自身の大学4年時の就職活動について滔滔と語り始めた。結論から言うと、就職活動は自信を見つめ、自身を知る過程であるということ。たぶん、俺の再就職活動が上手く行っていないことを、なんとなく悟ったんだろうね。確かに俺の性格なら、内定が出ていれば絶対言うだろうと奴は思っていただろうし。奴の話を聞いて、もっとゆっくり気楽に就活をしようと言う気になった。長年の友人はありがたいね。

さて、今回の東京滞在は修学旅行以来の「観光客」としての滞在だった。やはり、在住者と観光客では見えるものが違うのかも知れない。恥ずかしながら、土曜日に独りで飲んでいる時に、急に実家へ帰りたくなってきたのだ。あれがどういう気持ちの高まりあるいは静まりなのかわからないが、既に東京は、俺がのこのこやって来る街ではなくなったことの証明でもあるとも言える。

今実家でこれを書いているが、なんとリラックスできる快適な空間かと嬉しくてたまらない。思えば36年も東京暮らしを、いや学生時代から数えれば40年も東京暮らしをしてきて、芯からリラックスできたことがなかったのかも知れない。

そう考えると、自分の人生はまさに始まったばかりであり、再就職先が決まらないことを憂える必要も無い。自分の人生は一見良くない状況になっても、結果的に常に好転するサイクルで進んできている。今の状況が負の状況であるとすれば、これからは正に転換するだけだと言える。

東京に行ったことで得た成果はこれぐらいのものだが、なかなか大きな成果だと思う。つまり、字面で分かっていても、自身の心が真にそう思わないことには、分かったことにならないはず。「既に東京は、俺がのこのこやって来る街ではなくなった」などと悲観めいたことを書いたが、舌の根も乾かぬうちに、また東京に行こうという気持ちになれた。次は冬かな。

自由になるということ―就職活動の進捗状況

本命のパーソナルトレーナージムは選考から落ちた。面接後に面接官からは「非常に柔軟な思考をされていらっしゃる」などとお褒めの言葉をいただいていたのだが、結果はNG。ここで落ち込む暇があったらすることがあると思いなおし、「選考に落ちる」ということの意味を深く考えてみた。

まず、単に選考に落ちただけで、トレーナーとしてやっていけないという烙印を押されたわけではないということ。この考え方は大事である。次に、自分は本当に心からクライントさんにトレーニング指導をして対価を戴くことに生き甲斐を感じられるのだろうかという疑問。自分自身のトレーニングを自分自身のために楽しんでやるというのが、真に自身が満足、生き甲斐を感じられるのではないかという結論に至った。

さらに、現状パーソナルトレーナージムという業態はベンチャー企業であり、これから成長(あるいは衰退)していく業界であり、そこに集う有資格者のトレーナー達の中に自分のように一旦社会からドロップアウトし、トレーナー業を第二の人生と位置付けている自分が果たして馴染めるのかという恐れがあると自覚もした。

おそらく、従事する仕事は何でもいいのだろう。自宅からそう遠くないところにある会社に通勤して、少しばかり労働時間は長いが、せいぜい19時過ぎには帰宅出来て、そこそこの月給を得て、空いた時間でバーベルに心血を注ぐ生活。おそらくこれが真に願っていた生活なのではないかという結論に至ったのである。

今思うのは、NSCA-CPT資格を取得したが故に、トレーナーとして働かなければならないという考えに縛られていたのではないかということであり、頑張って取得した資格に束縛されるという本末転倒な事態に陥っていたわけである。資格試験の勉強をしている時も、試験に合格して就職活動をしているときも、どことなく地に足がついていない気がしていた。これで果たして良いのだろうか?という気持ちに、目を向けないようにしていたのだ。

ここまで書いて感じるのは、人は自分自身の本音にさえ気が付いていないということだ。あまりに内向的になるのも考え物だが、本当のところ自分はどうしたいのか?についてじっくり考えるという当たり前のことを心がけると、もっと自由になれると思う。選考に落ちても、すがすがしい気持ちでいられる今、おそらく自由になったのだと考えるのである。

就職活動、庭工事諸々・・・

就職活動もいよいよ結果が出る段階まで進んだ。先週、ZOOMやGoogle Meetingで面接を受けた2社の結果が今週中にメール等で寄せられるはず。先に面接した会社は業務委託で、入社後は数か月間、週に2回ほど授業を受け、会社が業務委託して問題無いとなった時点でトレーナーデビューとなり、業務委託であるがゆえにお客さんが付かないと収入はゼロの厳しい世界。もう一つは自分がNSCA-CPT資格取得のために入学したスクールを運営する会社で、こちらは正社員。パーソナルトレーナーの会社組織自体がベンチャー企業であるので、正社員と言えどもベンチャーの世界に生きることになる。いずれにしても生半可な世界ではない。

この2社の他にも応募中の会社があるのだが、全身写真(正面と横)が必須なので、これをどこでどう撮影してもらったらよいか迷っている。彼女にスマホで撮影してもらおうかと思っているが、会社が求めているのはスタジオあたりで撮影した、ホンマモンだろうから、それだけで履歴書さえ見てもらえないだろう。

正直、この2社がダメなら、もう数社応募して、それでもだめなら別の世界を模索しようと考え中。というか、現実の世界を生きているのであれば、現実を見るという姿勢が一番大事で、逃げ場というわけではないが、これも必要なことだと思う。

就職関連はこのぐらいにしておきます。

さて、6月28日から始まった工事が終わった。庭樹木石撤去に始まり、更地にした後の浄化槽、桝のレベル調整、型枠工事、コンクリート流し込み、ブロック塀柵設置工事をこの目でずっと見てきた自分としては、感慨深いものがある。

あれだけ生い茂っていた樹木がすっかりなくなり、季節を感じることは出来なくなったが、それでも裏庭には草が生えてきており、せっかくの防草シートも効果は無いようだ。草の生命力の強さを感じると同時に、縁あって生えた草なので抜かずにその一生を全うさせてあげようと思っている。

だが、部屋の内装工事が残っており、こちらの日程がまだ決まっておらず、ヤキモキしている。内定が出れば、セブ辺りに1週間ほど滞在してこようと考えているが、内定が出たら出たで、会社とのやり取りなど満載で、せいぜい東京に2,3日滞在するぐらいだろうか。

大学職員時代の自分は、今思うとあまりにも恵まれ過ぎていた。学生の夏休み期間には連続した休暇を取得することが可能で、年末年始の休みを含め、年に最低でも2回は2週間ほどセブ滞在が可能だった。これからはこんな贅沢は出来ないだろう。だが、俺にはもうセブに行かなくてはならない理由がないわけで、欧州やアメリカや、東南アジアの国々へさえも、もう行く理由が無いのだ。では、今までどんな理由で外国に足を運んでいたのかと言えば、女性が理由だった。今では実家のある愛知にこれからの人生を共に過ごしていけるであろう女性に巡り合えた。Survivorの”The Search is Over”って歌があったけど、今の自分の気持ちを代弁しているかな。

テレビ番組から得るもの・・・あるよね

大雨の日の日曜日。その大雨の間隙をついて近所のとんかつ屋へ。大きいエビフライをどうしても食べたい気持ちが抑えきれず、雨合羽を着てもそこそこ濡れて店に到着。いやはや、持って行ったタオルを2回絞らなければならないほどの濡れ具合い。いや、タオルが雨でぬれていたので身体が濡れた程度は大したことは無かったのだろう。

幸い帰宅時には雨が上がり、蒸し蒸しとした空気が漂っていたが、自転車で走ると意外と涼しく感じた。家には9時半頃に到着したが、9時から放送の番組は途中からになるのでやめにして、NHKのニュースを流していた。特に真剣に観ていたわけではない。

番組が変わった気がしたので、ふと見るとWBCの前監督である栗山氏のメモについての番組だった。ダルビッシュや大谷をチームに入るよう直談判に行った時のことなどを、栗山氏の側近の証言を交えての番組。所謂NHKらしい番組構成。

ただ、自分が一番注目したのは、栗山氏のWBCに対する構えだ。とかくスポーツの世界は、「先のことは考えないで、目の前にある試合を一戦一戦戦っていくだけです」という文言が派手に飛び交う日本のスポーツ界(プロアマの区別なく)のように自分には思えるのだが、彼は優勝するシーンを最初に思い描き、そこから逆算してチーム作りをしていた点だ。

加えて、「四球」というモノに対する考え方の興味深さ。今大会に限ったことではないかもしれないが、点を取られ逆転されるケースのほとんどが「四球」からだと栗山氏は言う。確かに、高校野球を観ていても、制球力のある投手であっても四球や、守りの硬いチームであってもエラーや、そういうミスから瓦解していくものなのだと再確認。

さて、前段の「逆算してチーム造り」に話を戻す。今自分は再就職のために奔走(と言ってもパソコンで「応募」のボタンを押すことに終始しているが)している最中だが、面接で「頑張ります」では到底ダメだろうと感じている。それが確信となったのはこの番組のおかげである。自分がトレーナーとして日々働く中で、毎日のトレーナー業を精一杯やる、ということだけでは足りないのだということ。いくら50代後半の年齢と言えども、数年後にはどうなりたいかをイメージし、そこから逆算してトレーナーとして働くという覚悟が無いと、いくら資格所持者だとはいえ、この年齢のオジサンを雇用しようという気持ちにはならないだろう。

現在就活をされている多くの大学生にも言えることで、入社したい一心で美辞麗句を並べることに齷齪するのではなく、その会社に入って自分が数年後にどうなっていたいかをイメージし、そこから逆算することで本当の意味での志望動機が見えてくるのではなかろうかと思う。自身の前職は母校の私大職員だったが、大学4年の自分には、その「逆算」という考え方が無かったと、今更ながら悔やむのはあまりにも時すでに遅しと言える。

そう言いながら、自分が数年後にトレーナーとしてどうなっていたいかをイメージした時、確固たるものが浮かばないというのが正直なところ。平均寿命を考えた時、あと何年働けるのかをも考えると、時間はそう多くは残っていないはず。面接まで1週間ほどとなった今日、あらためてトレーナーとしての数年後の自身の姿をイメージし、鮮明化させるのが急務と思う。

とりあえず1次選考を突破(就職活動)

今時の就職活動は敢えて言えば楽ですね。履歴書はデータで添付送信、結果はメールで返信。自分が就職活動(ずいぶん昔)をした時代は、手書きの履歴書に大学の地下の写真屋で撮影してもらった写真を貼り、郵送したものでした。

今回、Wordの履歴書テンプレートに記入するまでは良かったのですが、写真データがうまく貼れず、結局コンビニでプリントアウトして、そこに写真画像を貼りPDF保存するというアナログ作業となりました。

※Wordに写真データを貼るテクニックは習得できていない身で言うのも変ですが、覚えておいて損はないです!

さて、なんでお前が就職活動?と思うかもしれません。このブログだけ読まれた方には説明しなくてはなりませんね。実は昨年度末に早期退職しまして、一念発起してパーソナルトレーナーの資格を取得したのです。で、その資格を活かせる職場を探して、現在就職活動の真っ最中なのです。50代の後半ではありますが、まだまだ現役で闘える知力体力はあると信じております(笑)

ここで朗報なのですが、資格試験突破のために入学したスクール(名前は伏せますね)の履歴書選考を通過しまして、2次選考へ進む権利を得たのです。ただ、いろいろ割り引いて考えなくてはならない点があります。そのスクールの生徒だった自分が、履歴書選考の段階で落とされるはずがないということです。よって、2次選考が正真正銘の本番となります。これはZOOMでの面接です。スクールでは就活サポート制度がありますが、この制度を利用するのはなにやら気が引けますね。

ただ、就職活動には「OB・OG訪問」というモノがありますので、就活サポート制度はこれに該当すると考えれば、躊躇する必要は無いと考えました。早速サポート依頼を申請しましたが、スクール側は「いつも申請が深夜だな?」と思っているかも知れませんね。

さて、今から考えるのは野暮ですが、採用となった場合の勤務先です。全国展開しているパーソナルジムですが、私の住む愛知県には店舗が2軒しかなく、中区栄という名古屋市の中心地にあるのみです。もう一軒はこれからのオープンのようですが、東京は16軒もあり、開店準備中も7軒。愛知県内にももっと店舗展開をして欲しいものです。