人生再出発の日

いよいよ10月30日が地元タクシー会社への入社日。人生の再出発と言うと大げさだが、他に何か適当な言葉が見つからない(笑)だが、土用期間であるため、新しいことを始めるには適切ではない時期。大事なのは気持ちの持ちようなので、あまり気にかける必要もなかろう。だが、土用期間開けの単独で乗務開始する日を初日とすることにした。これで上手く行きそうだ。

それより大事なことは長期続いた就職活動がいよいよ終わりを迎えるということだ。やっと心の平穏を得られる。この間、心ここにあらずの精神状態が続いていた。大学を退職後はゆったり海外旅行でも行こうかと考えていたが、4,5月の2か月をNSCA-CPT試験の勉強に費やし(無事資格取得)、実家に戻ってからは就職活動のみならず、庭の樹木石撤去と駐車スペース工事、部屋の内装修繕が断続的に続き、海外旅行どころでは無くなった。だが、タクシー会社へ就職したら、もう1週間連続の休みなど取得できないだろうし、おそらく海外旅行など、生きている間に二度と行けないのではないかと残念な気持ちだ。

さて、パーソナルトレーナーとして働く道はどうなったかと問われると、業界の動向を見誤ったとしか言えない。ベンチャーの世界であるパーソナルトレーナー業界に、60歳近い人材はそぐわないようだ。また、資格取得のために入学したスクールを持つパーソナルトレーナージムの面接では、この採用責任者には俺は好まれないだろうな、と直感したものだ。ただ、どうして不採用だったのかはいまだに不明で、モヤモヤしたものが残ったままだ。

しかし、俺は一体あと何年生きられるのだろう。何か使命を果たすために生まれてきたのであれば、残りの人生はそれを果たすために生きたいと思うが、何が使命なのかもわからない。タクシー運転士がそれなのかもわからない。わからないまま前に進んでいくだけしかないのか。

実家に戻って三か月半ばの今

6月28日に東京から実家のある愛知県一宮市へ戻り、三か月ちょっと経過した。身体の細胞が80日で入れ替わると聞いたことがあるが、それに倣うならばもう完全にこちらの生活に身体が馴染んだことだろう。それと同時に新生活の基盤も固まりつつある。というのは、8月から開始した就職活動がいよいよ終わりを迎えようとしているからだ。

ずばり、地元のタクシー会社の運転手になることが決まった。法政大学在職中に、すでに名古屋市内のタクシー会社の内々定を戴いてはいたのだが、資格試験のために内々定を蹴った。気が変わったら連絡してくださいのメールは戴いていたが、その会社にお願いするのも気が引ける。また、勝手知らない名古屋市内を走るのは不安がある。結局、帰省時によく使っている地元のタクシー会社に応募した。

当初はNSCA-CPTの資格を活かして、パーソナルトレーナーの職を得ようと多くのジム(パーソナルトレーニング専門)応募したが全滅。資格試験突破のために入学したスクールの母体となるジムへも応募したが、お情けで一次選考は通過したものの、二次の面接で撥ねられた。面接時の感触は決して悪くなかったのだが、メールで不採用の返事が着た時には「ああ、やっぱりか・・・」という思いもあった。でも、スクール出身の応募者なのだから、テンプレートそのままのメール文ではなくて、どういう理由で不採用なのかは伝えて欲しかったと思う。

しかし、今思うのは、50代でいくら資格があるとはいえ、これまで未経験のトレーナーの仕事に就くのは至難の業で、50代でトレーナーになったというそのスクールの実績も、おそらくトレーナーの経験者ではなかったかと思うのである。世の中甘くないということをヒシヒシ感じたこの2か月であった。

そうは言っても、トレーニングに関してもっと自分のトレーニングを追求したいという気持が強いということに気が付いたことは収穫だった。若い時のようにヘビーウエイトを扱うトレーニングから離れ、これまでとは違ったトレーニングに移行しなければならない現状で、効果的と思われるトレーニング手法に巡り合ったこともあり、それを学び活かしていくつもり。これについては10月中に鳥取県まで遠征する予定。

だが、トレーナーの仕事は諦めておらず、アルバイトとして私営のフィットネスクラブのジムトレーナーや公営の体育施設の監視員などにも携わるべく、就職活動を継続中だ。

さて、庭を排して駐車スペースを作った件は以前のブログでも書いたが、この度、そこに住まう車が納車の運びとなった。当初はスズキのスイフト・スポーツを狙っていたが、契約前になって一転、スバル(以前は富士重工業)のフォレスターXBreakを購入することになった。スイフトは6速マニュアルでメーターは260キロまであり、スパルタンな走りが楽しめるものとウキウキだったが、その日の夜中に気になっていたフォレスターを検索する内に来店予約をしてしまい、数ある中古車、新古車の中から唯一ホワイトボディのフォレスターの購入を決め、昼過ぎに購入契約を交わしてしまった。その後スズキの販売店へは謝罪に訪れたが、担当者の方は相当ガックリな様子だった。ただ、その車両に興味を持った方が他にもいるらしいと耳にし、多少なりとも気が休まる思いだった。

納車は10月17日。駐車スペースは道路から建物まで5mという距離を考えると、フォレスターの全長4.64mは悠々ではなくギリギリだと思った方が良いだろう。駐車方向はリアを建物側にする予定。家の前を東方向に出て、そこから西方向にバックしながらスペースに入れるやり方が最もやり易いだろう。何のことかわからない人ばかりだろうけど、ここは俺が分かれば良い(笑)

いやはや退職して1年も経たないうちに第2の人生のスタートに付けた。二種免許の取得は10月30日からなので、それまでのモラトリアム期間を有意義に過ごしたい。先に述べた鳥取遠征と再度上京し、同期の奴と飲み会だ。もう外で飲むのは寒いだろうから、501にMA着て備えよう。

購入したフォレスター

2か月ぶりの東京

感じたことを、その記憶がなるべくフレッシュな内に書き留めておきたいとは思うが、思いがまとまらないまま書き始めるのと、日数が経過して記憶が曖昧になってしまう恐れのはざまでいつも揺れ動くのである

家の庭石樹木撤去と駐車場設置工事が竣工したことと、本命のパーソナルトレーナージムの選考に落ちたこともあり、これが一区切りかなと思い、東京へ向かった。

その前日の土曜日に上京し、まずは30年以上お世話になった理髪店に出向いた。ここは以前住んでいた(36年)杉並区のとある街にある。予約時間に訪れると、いつものように主人が迎えてくれた。やはり、上手い!右の前額部の毛の生え方に癖がある俺の髪の毛なのだが、なんの苦も無く左右対称に刈ってくれた。やはり歯医者と床屋は長年のかかりつけに限る。

その後、電話鑑定ではお話ししていた先生の対面鑑定のために新宿へ向かったが、日にちと時間を間違えていて、さてどうしたものかと思ったが、受付女性の機転で10分後に鑑定していただけることになった。

鑑定の内容はさすがにここに書くことは避けるが、先生からは俺の肌が綺麗で、手相の力強さを相当褒めていただき、非常に自信を深めたことだけは書いておく。また、体力が非常に充実しているとのことで、それを示すかのように翌日日曜日の飲み会は昼の3時から夜の12時までの9時間に及んだのです。でもこれはちょっとやり過ぎかなと反省(笑)

さて日曜日の飲み会。前日の深酒もあって、昼前にやっと起床。麦茶1リットルをジワジワのみ、シャワーを浴びてすっきりすると、ようやく宿を出る気になった。待ち合わせには1時間以上もある。東京在住時から気になっていた、待ち合わせのパブの近くのタイ料理屋で昼飯を食べた。エビチャーハンとラッシーだけの軽い昼飯。深酒を考慮した上での量だが、もう一皿行けたかもしれない。食べているうちに胃が回復してきたのだ。

2時には店に到着。一番熱い時間帯だが、40度近い真夏日が続いた頃とは違っていて、ときどきヒンヤリした風が吹いてくれるのはありがたい。正直、冷房の効いた部屋はあまり好きではなく、酒を飲むならば多少汗ばむ環境の方が好きなのだ。もちろん真冬でも道路席で飲んでいたのだが、今から思うとよく風邪ひかなかったと思う。

待ち合わせしたのは同時期に早期退職したE君。自身の大学4年時の就職活動について滔滔と語り始めた。結論から言うと、就職活動は自信を見つめ、自身を知る過程であるということ。たぶん、俺の再就職活動が上手く行っていないことを、なんとなく悟ったんだろうね。確かに俺の性格なら、内定が出ていれば絶対言うだろうと奴は思っていただろうし。奴の話を聞いて、もっとゆっくり気楽に就活をしようと言う気になった。長年の友人はありがたいね。

さて、今回の東京滞在は修学旅行以来の「観光客」としての滞在だった。やはり、在住者と観光客では見えるものが違うのかも知れない。恥ずかしながら、土曜日に独りで飲んでいる時に、急に実家へ帰りたくなってきたのだ。あれがどういう気持ちの高まりあるいは静まりなのかわからないが、既に東京は、俺がのこのこやって来る街ではなくなったことの証明でもあるとも言える。

今実家でこれを書いているが、なんとリラックスできる快適な空間かと嬉しくてたまらない。思えば36年も東京暮らしを、いや学生時代から数えれば40年も東京暮らしをしてきて、芯からリラックスできたことがなかったのかも知れない。

そう考えると、自分の人生はまさに始まったばかりであり、再就職先が決まらないことを憂える必要も無い。自分の人生は一見良くない状況になっても、結果的に常に好転するサイクルで進んできている。今の状況が負の状況であるとすれば、これからは正に転換するだけだと言える。

東京に行ったことで得た成果はこれぐらいのものだが、なかなか大きな成果だと思う。つまり、字面で分かっていても、自身の心が真にそう思わないことには、分かったことにならないはず。「既に東京は、俺がのこのこやって来る街ではなくなった」などと悲観めいたことを書いたが、舌の根も乾かぬうちに、また東京に行こうという気持ちになれた。次は冬かな。

自由になるということ―就職活動の進捗状況

本命のパーソナルトレーナージムは選考から落ちた。面接後に面接官からは「非常に柔軟な思考をされていらっしゃる」などとお褒めの言葉をいただいていたのだが、結果はNG。ここで落ち込む暇があったらすることがあると思いなおし、「選考に落ちる」ということの意味を深く考えてみた。

まず、単に選考に落ちただけで、トレーナーとしてやっていけないという烙印を押されたわけではないということ。この考え方は大事である。次に、自分は本当に心からクライントさんにトレーニング指導をして対価を戴くことに生き甲斐を感じられるのだろうかという疑問。自分自身のトレーニングを自分自身のために楽しんでやるというのが、真に自身が満足、生き甲斐を感じられるのではないかという結論に至った。

さらに、現状パーソナルトレーナージムという業態はベンチャー企業であり、これから成長(あるいは衰退)していく業界であり、そこに集う有資格者のトレーナー達の中に自分のように一旦社会からドロップアウトし、トレーナー業を第二の人生と位置付けている自分が果たして馴染めるのかという恐れがあると自覚もした。

おそらく、従事する仕事は何でもいいのだろう。自宅からそう遠くないところにある会社に通勤して、少しばかり労働時間は長いが、せいぜい19時過ぎには帰宅出来て、そこそこの月給を得て、空いた時間でバーベルに心血を注ぐ生活。おそらくこれが真に願っていた生活なのではないかという結論に至ったのである。

今思うのは、NSCA-CPT資格を取得したが故に、トレーナーとして働かなければならないという考えに縛られていたのではないかということであり、頑張って取得した資格に束縛されるという本末転倒な事態に陥っていたわけである。資格試験の勉強をしている時も、試験に合格して就職活動をしているときも、どことなく地に足がついていない気がしていた。これで果たして良いのだろうか?という気持ちに、目を向けないようにしていたのだ。

ここまで書いて感じるのは、人は自分自身の本音にさえ気が付いていないということだ。あまりに内向的になるのも考え物だが、本当のところ自分はどうしたいのか?についてじっくり考えるという当たり前のことを心がけると、もっと自由になれると思う。選考に落ちても、すがすがしい気持ちでいられる今、おそらく自由になったのだと考えるのである。

就職活動、庭工事諸々・・・

就職活動もいよいよ結果が出る段階まで進んだ。先週、ZOOMやGoogle Meetingで面接を受けた2社の結果が今週中にメール等で寄せられるはず。先に面接した会社は業務委託で、入社後は数か月間、週に2回ほど授業を受け、会社が業務委託して問題無いとなった時点でトレーナーデビューとなり、業務委託であるがゆえにお客さんが付かないと収入はゼロの厳しい世界。もう一つは自分がNSCA-CPT資格取得のために入学したスクールを運営する会社で、こちらは正社員。パーソナルトレーナーの会社組織自体がベンチャー企業であるので、正社員と言えどもベンチャーの世界に生きることになる。いずれにしても生半可な世界ではない。

この2社の他にも応募中の会社があるのだが、全身写真(正面と横)が必須なので、これをどこでどう撮影してもらったらよいか迷っている。彼女にスマホで撮影してもらおうかと思っているが、会社が求めているのはスタジオあたりで撮影した、ホンマモンだろうから、それだけで履歴書さえ見てもらえないだろう。

正直、この2社がダメなら、もう数社応募して、それでもだめなら別の世界を模索しようと考え中。というか、現実の世界を生きているのであれば、現実を見るという姿勢が一番大事で、逃げ場というわけではないが、これも必要なことだと思う。

就職関連はこのぐらいにしておきます。

さて、6月28日から始まった工事が終わった。庭樹木石撤去に始まり、更地にした後の浄化槽、桝のレベル調整、型枠工事、コンクリート流し込み、ブロック塀柵設置工事をこの目でずっと見てきた自分としては、感慨深いものがある。

あれだけ生い茂っていた樹木がすっかりなくなり、季節を感じることは出来なくなったが、それでも裏庭には草が生えてきており、せっかくの防草シートも効果は無いようだ。草の生命力の強さを感じると同時に、縁あって生えた草なので抜かずにその一生を全うさせてあげようと思っている。

だが、部屋の内装工事が残っており、こちらの日程がまだ決まっておらず、ヤキモキしている。内定が出れば、セブ辺りに1週間ほど滞在してこようと考えているが、内定が出たら出たで、会社とのやり取りなど満載で、せいぜい東京に2,3日滞在するぐらいだろうか。

大学職員時代の自分は、今思うとあまりにも恵まれ過ぎていた。学生の夏休み期間には連続した休暇を取得することが可能で、年末年始の休みを含め、年に最低でも2回は2週間ほどセブ滞在が可能だった。これからはこんな贅沢は出来ないだろう。だが、俺にはもうセブに行かなくてはならない理由がないわけで、欧州やアメリカや、東南アジアの国々へさえも、もう行く理由が無いのだ。では、今までどんな理由で外国に足を運んでいたのかと言えば、女性が理由だった。今では実家のある愛知にこれからの人生を共に過ごしていけるであろう女性に巡り合えた。Survivorの”The Search is Over”って歌があったけど、今の自分の気持ちを代弁しているかな。

テレビ番組から得るもの・・・あるよね

大雨の日の日曜日。その大雨の間隙をついて近所のとんかつ屋へ。大きいエビフライをどうしても食べたい気持ちが抑えきれず、雨合羽を着てもそこそこ濡れて店に到着。いやはや、持って行ったタオルを2回絞らなければならないほどの濡れ具合い。いや、タオルが雨でぬれていたので身体が濡れた程度は大したことは無かったのだろう。

幸い帰宅時には雨が上がり、蒸し蒸しとした空気が漂っていたが、自転車で走ると意外と涼しく感じた。家には9時半頃に到着したが、9時から放送の番組は途中からになるのでやめにして、NHKのニュースを流していた。特に真剣に観ていたわけではない。

番組が変わった気がしたので、ふと見るとWBCの前監督である栗山氏のメモについての番組だった。ダルビッシュや大谷をチームに入るよう直談判に行った時のことなどを、栗山氏の側近の証言を交えての番組。所謂NHKらしい番組構成。

ただ、自分が一番注目したのは、栗山氏のWBCに対する構えだ。とかくスポーツの世界は、「先のことは考えないで、目の前にある試合を一戦一戦戦っていくだけです」という文言が派手に飛び交う日本のスポーツ界(プロアマの区別なく)のように自分には思えるのだが、彼は優勝するシーンを最初に思い描き、そこから逆算してチーム作りをしていた点だ。

加えて、「四球」というモノに対する考え方の興味深さ。今大会に限ったことではないかもしれないが、点を取られ逆転されるケースのほとんどが「四球」からだと栗山氏は言う。確かに、高校野球を観ていても、制球力のある投手であっても四球や、守りの硬いチームであってもエラーや、そういうミスから瓦解していくものなのだと再確認。

さて、前段の「逆算してチーム造り」に話を戻す。今自分は再就職のために奔走(と言ってもパソコンで「応募」のボタンを押すことに終始しているが)している最中だが、面接で「頑張ります」では到底ダメだろうと感じている。それが確信となったのはこの番組のおかげである。自分がトレーナーとして日々働く中で、毎日のトレーナー業を精一杯やる、ということだけでは足りないのだということ。いくら50代後半の年齢と言えども、数年後にはどうなりたいかをイメージし、そこから逆算してトレーナーとして働くという覚悟が無いと、いくら資格所持者だとはいえ、この年齢のオジサンを雇用しようという気持ちにはならないだろう。

現在就活をされている多くの大学生にも言えることで、入社したい一心で美辞麗句を並べることに齷齪するのではなく、その会社に入って自分が数年後にどうなっていたいかをイメージし、そこから逆算することで本当の意味での志望動機が見えてくるのではなかろうかと思う。自身の前職は母校の私大職員だったが、大学4年の自分には、その「逆算」という考え方が無かったと、今更ながら悔やむのはあまりにも時すでに遅しと言える。

そう言いながら、自分が数年後にトレーナーとしてどうなっていたいかをイメージした時、確固たるものが浮かばないというのが正直なところ。平均寿命を考えた時、あと何年働けるのかをも考えると、時間はそう多くは残っていないはず。面接まで1週間ほどとなった今日、あらためてトレーナーとしての数年後の自身の姿をイメージし、鮮明化させるのが急務と思う。

とりあえず1次選考を突破(就職活動)

今時の就職活動は敢えて言えば楽ですね。履歴書はデータで添付送信、結果はメールで返信。自分が就職活動(ずいぶん昔)をした時代は、手書きの履歴書に大学の地下の写真屋で撮影してもらった写真を貼り、郵送したものでした。

今回、Wordの履歴書テンプレートに記入するまでは良かったのですが、写真データがうまく貼れず、結局コンビニでプリントアウトして、そこに写真画像を貼りPDF保存するというアナログ作業となりました。

※Wordに写真データを貼るテクニックは習得できていない身で言うのも変ですが、覚えておいて損はないです!

さて、なんでお前が就職活動?と思うかもしれません。このブログだけ読まれた方には説明しなくてはなりませんね。実は昨年度末に早期退職しまして、一念発起してパーソナルトレーナーの資格を取得したのです。で、その資格を活かせる職場を探して、現在就職活動の真っ最中なのです。50代の後半ではありますが、まだまだ現役で闘える知力体力はあると信じております(笑)

ここで朗報なのですが、資格試験突破のために入学したスクール(名前は伏せますね)の履歴書選考を通過しまして、2次選考へ進む権利を得たのです。ただ、いろいろ割り引いて考えなくてはならない点があります。そのスクールの生徒だった自分が、履歴書選考の段階で落とされるはずがないということです。よって、2次選考が正真正銘の本番となります。これはZOOMでの面接です。スクールでは就活サポート制度がありますが、この制度を利用するのはなにやら気が引けますね。

ただ、就職活動には「OB・OG訪問」というモノがありますので、就活サポート制度はこれに該当すると考えれば、躊躇する必要は無いと考えました。早速サポート依頼を申請しましたが、スクール側は「いつも申請が深夜だな?」と思っているかも知れませんね。

さて、今から考えるのは野暮ですが、採用となった場合の勤務先です。全国展開しているパーソナルジムですが、私の住む愛知県には店舗が2軒しかなく、中区栄という名古屋市の中心地にあるのみです。もう一軒はこれからのオープンのようですが、東京は16軒もあり、開店準備中も7軒。愛知県内にももっと店舗展開をして欲しいものです。

実家に戻ってひと月ほど

郷里の愛知県一宮市に戻ってひと月ほど経過した。あれだけあった段ボールの中身も回収業者のおかげで空になった押し入れや親父用のクローゼット(部屋造り付け型)に整然と収納したら、徐々に減ってきて、ストレスも軽減されてきた。片付かないのってストレスの素になるんだなと今更ながら実感。

一方、庭石樹木を排して駐車スペースに替える工事はほぼ終了。コンクリートが完全に固まるまでの期間については諸説あるが、車両の乗り入れには7週間必要との説を信じ、車の購入はもう少し先に延期だ。残るは玄関ポーチあった花壇の跡地へのタイル貼り。これはお盆明けになってしまいそうだ。それほど広いスペースではないから1日もかからないだろう。住宅の外観って、地味な色、例えばベージュ系が多いので、タイルだけはヴィヴィットな色にしてくれと話しておいたが、果たして・・・。

自分で作業したのが鉄柱の買い付けと塗装。車両が当たってフェンスやブロックが逝ってしまわないように、家の東南角にその鉄柱を埋め込むのだ。近所の鋼管工場へ赴き、直径100ミリ、長さ1400ミリの鋼管を購入。一応見積額を出してもらい、電話で正式に発注。2本で14,000円ほどだった。重量が1本20㌔近くあるので、スクーターで2往復して自宅へ運搬。なかなかスリリングだったが、左折ですごくオーバーステアになるので、事前のスピードダウンが重要だった。

塗装は当初、プロに発注するかどうか迷ったが、自分でやるとしても大した作業では無さそうなので、シンナー、さび止め、スプレー缶を買ってきて自分で塗った。さすがに日中の炎天下では厳しいので、夜9時ぐらいに玄関の照明の元で敢行。さすがに完ぺきとは言えず、ムラが残ったが、プロの完璧な仕事の一部にアマチュアの作品があっても良かろうと思い、工事屋さんにそのまま埋設してもらった。

自分が高校生まで使っていた部屋のフロアの張替えは、既存のフロアを剥がす作業にそこそこ金がかかるので、上から貼ってもらうことにした。これは半日で終わり、続いてダブルベッドをこの部屋に吊り下げ搬入してもらい、やっと自分の部屋で眠ることが出来た。熱帯夜とはいえ、網戸にすれば風は入るので、日の出の時間までは寝れるのだ。何も置いていない部屋にポツンとダブルベッドだけあるってのは、なんだか贅沢かな・・・。

語るより画像を貼れば一発で分かるので、如何に現状を披露してみます。まだ、柵が設置されていない箇所がありますが、すでにここも完成しており、門扉を開けての出入りができる状態です。

気になるのは竣工日。建築に関しての良い日と言うのがあるらしく、いろいろ調べてみましたが、https://onl.tw/Tw61SUF これによると良い日が分かるようです

NSCA-CPT取得その後!

「認定証が届きました!」

NSCA-CPT試験合格後に試験場で合格した旨の書面が渡されたことは前回のブログで既に書きましたが、その後普通救命救急講習を受講した証である「救命技能認定証」の画像をNSCAジャパン本部に送信して数日、認定証が届きました。封筒の中には名刺作成の注文書も同封されており、郷里への引越が一段落したら注文することにしました。

郷里である愛知県でトレーナーの職を探すのは、郷里とはいえ40年も離れていたわけで、これはもう知らない土地で職を探すのとほぼ同じと言えます。このことはつい最近気が付いたことです。それが故に「生まれ故郷でトレーナーの仕事を!」という志望動機では、ちょっと説得力がないなあ~と思うのです。

さて、6月15日の実技指導講習を最後にスクール卒業です。この授業ではウエイトトレーニングを実施する上で大切な補助の方法について勉強します。自身も現役時代のトレーニングの中で経験したことですが、全く運動をしたことのない方々を相手にすることになるこれからのために、今一度初心に戻ってみる覚悟です。

「スクールのこと」

当初NSCA-CPTという名前すら知らなかった自分が検索に検索を重ね、数ある資格試験突破に特化した多くのスクールの中から選んだのがASPIでした。ASPIでは700ページ余りもある「NSCAパーソナルトレーナーのための基礎知識」をかみ砕いて作成したテキストを使用し、それを元に50分のオンライン授業を受講します。テキストはエッセンスが集約されていますが、あまりにも簡略化されているな、と思われる箇所は先程の書籍やインターネットで検索して疑問点を解消するという勉強を励行したものです。

今思えば、「NSCAパーソナルトレーナーのための基礎知識」を購入して最初から読んでいては、これほどまでに短期間(2022年12月から開始なので半年)で合格は無理だったでしょう。この点ではASPIに感謝しても仕切れないですね。

一応スクールを宣伝しておきますが、講師に頼まれたわけではないので念のため(笑)

ASPI  https://onl.tw/Aivc7Sf


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NSCA-CPT合格しました!

去る5月30(火)、NSCA-CPT試験を西新宿のとあるビルで受けてまいりました。なんとか無事1回目で合格することができました。

155問中採点対象となるのは140問。113問を正解して正解率8割を越え、7割以上が合格ラインのところ、悠々と合格点を突破したわけです。(画像参照)

制限時間は3時間。試験会場、といってもだだっ広い会場が細かく仕切られ、その中に回答を行なうパソコン席が半透明の仕切り版で仕切られた中での受験です。

狭い部屋でしたが、集中していたのか、緊張していたのかわかりませんが、解答を終えて部屋を出るときに満席だったことにやっと気が付きました。あの静寂感は異様でした。

時計はパソコンの右上端に表示されるのですが、特にスタッフの説明が無いので、少々面喰いました。それでも90分ぐらいで解答終了。解答していて「簡単だな、8割は行けそうだ」とほくそ笑んだのですが、思い込みを排除するために必要以上に解答の速度を落としました。それでも90分で終えられたのです。

さて、肝心の試験問題ですが、スクールが用意した模擬試験や補講試験、それに直前対策試験が8割以上正解できていれば、本番で7割の合格ラインを突破するには充分な設問レベルです。もちろん試験に受かるだけなら7割で良いでしょうが、自分はこれからパーソナルトレーナーとして生きていくわけで、得点できなかった2割を埋める勉強をして、なおかつさらに深い理解のために勉強を継続していかなければなりません。8割得点出来ても全く嬉しい気持ちは合格が分かったほんの数秒であり、少し経過してからは、満点でなかったことの悔しさがこみあげてきたのです。

初めて見た設問はプライオメトリックのトレーニング動画が再生され、この動画のトレーへの助言として適切なモノを選べというもの。明らかなエラーではなさそうな動画もあり、動画関係の設問はあまり自信をもって回答したのはせいぜい6,7割か・・・。

また、相当気合入れて暗記した数値関係を駆使する計算問題がそれほどなかったのが残念でした。当初は数値を駆使して計算する問題を苦手とするのではないかと恐れていたのですが、これは多くの問題を解くことで解消。結局、日本語の説明が多い章についての設問がいまだに苦手なのです。クライアントの受け入れから適合性の評価、目的についての話し合い、契約、それから健康評価に続くあたりは未だに自身が無い(笑)

さて、これからは就職活動となりますが、東京で行うことはありません。大学進学から40年暮らした東京を離れ、郷里の愛知県へ戻ることになっており、愛知県内の西部(名古屋から岐阜に至る地域)で職を探すことになります。さあて、還暦を2年後にひかえたオジサンをトレーナーとして雇用する奇特なジムがどれだけあるでしょうね。マッチングしなければ、軽自動車での配送の仕事をやろうと思います。資格は持っていればどこかで役立つでしょうから。

勉強を開始したのが2022年12月13日。4か月半で合格を勝ち取ったわけですが、振り返ってみると最初は不安との戦いでした。これだ!と思える勉強法がなかなか見つからず、焦ってばかり。いろいろなことに興味を持つ自分の性格が邪魔をするせいで、NSCA-CPTの勉強に身が入らないのでした。いつ頃からか、近所の公営図書館を利用することにして、集中できる環境を確保できたころから精神的に落ち着いてきたようです。図書館には平日でも朝から晩まで勉強をされている方が多いです。やはりご自宅ではさまざまな事情があり勉強に身が入らないのでしょうね。自分の場合、部屋はあくまでリラックスする場ですので、勉強する環境にはそぐわない。一時期、Jcomテレビの契約を解除して、40インチのテレビも廃棄しようと考えたくらいです。ホントです。

さて、これから待っているのは引越です。東京の住まいで使っているモノのほとんどは引き取り廃棄対象です。冷蔵庫、40インチテレビ、電子レンジ、靴箱。持って行くのはダブルベッド(マットレスとベッド台)、ダイニングテーブル2台、木製椅子2脚、リクライニングチェア1脚、大事な観葉植物5つ、書籍類、台所用品。こんなところです。

実家にある父母の遺品であるダンス類も廃棄処分するため、すでに地元業者に依頼済。人生最後の引越には数十万円かかりそうです。

次回ブログはいつになるでしょうね。お楽しみに。


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