一般のジムでのリハビリトレーニングの取り組み方

前回の投稿で、加圧トレーニングの利用について書いたのだが、加圧ベルトを装着して自重でトレーニングすることが相当膝関節にダメージを与えることを身をもって感じたため、現在は加圧ベルトの使用をやめている。どうしても装着してトレーニングしたい時は、椅子に座って、重量無しのレグイクステンションを5分間行うのみだ。これでも四頭筋にはそこそこの筋肉痛が起きるので、今はこのぐらいのボリュームで良いのだろう。マシーンでのレグイクステンションは膝関節に妙な負担がかかるので、できればレグプレスを軽量で高回数やりたいのだが、今は我慢だ。

上半身のトレーニングには膝は関係無いと思っていたが、ベンチプレスに限らず、プレートを持つ時に一部重量がガツンと膝に加重されるので、やはりマシーンを使うことが多くなる。同じマシーンでも、ハンマーストレングス社の製品はプレートの脱着が必要なので、フリーウエイトトレーニングと似たようなもの。そうなるとマシーンの充実したジムが必要となる。

今の身体のコンディションでゴールドジムは必要無い。ここはハンマーストレングス社のマシーンが多いので、使える器具が限られてくる。やはり近所のA1になるかな・とにかく一度見学してみる必要がある。

今日は短いけど、これで終わり!


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新たなリハビリトレーニング開始へ

2020年1月末に半月板損傷縫合、脛骨高位骨切り手術を受け、2021年1月21日に脛の骨を固定していたチタンプレート、ボルト11本を抜釘。異物が身体から消えて5か月程経過したが、従来のリハビリではなかなか思うような膝の状態を得られなくて焦燥感にさいなまれる日々をおくっていた。そこで、ずいぶん以前から取り組もうと考えていたBFRトレーニング、いわゆる血流制限トレーニングなのだが、それにトライすることで現状打破を図ろうとした。

血流制限トレーニング、つまり加圧トレーニングは30歳ごろに、府中市にある佐藤義昭氏の経営するトレーニングジムで合計10回ほど指導を受けたことがある。東大の駒場のトレ体でたまたまお会いした佐藤氏の話に興味を持ち、その中身について尋ねると「ジムに来なさい」の一言だった。どこでどう加圧トレーニングの原理を知ったのかは記憶に無いが、要するに筋肉の酸素濃度を低くし、速筋繊維が優位に働く環境設定し、最大筋力のせいぜい20~40%の重量でハイレップスで行うものだと知ったのは、その後ひと月ほどだったか・・・。

佐藤義昭氏のジムの門を叩いたは良いが、あまりのトレーニングのきつさに、2,3回はトレーニング後に嘔吐したことを覚えている。もちろん、嘔吐した時はトレーニング前の食べ物にも原因があったので、嘔吐後は工夫をして対処した。甘酸っぱいものが嗚咽とともに口から噴出するのは耐えがたい瞬間だった・・・。

その加圧トレーニングの特許とやらが切れて間もなく、山本義徳氏が中心となってBFRトレーニングが出現。かいつまんで説明すると、以前佐藤氏のジムで受けた加圧よりずいぶん低い圧でのトレーニングで、これは取り組みやすいのではないかと思ったのだ。でも、それ以降右膝の具合が悪化し、先に述べた手術を経験したため、すっと忘れてしまっていたのだ。

確か、山本義徳氏に直接尋ねて、指導できるジムを教えてもらったのが早稲田大学の近くにある「サワキジム」。その日は小雨の降る、寒いような、蒸し暑いような嫌な日だったが、加圧トレーニングのことで頭がいっぱいで、全く気にならなかった。方向音痴気味な最近の自分なので、トレーナーさんに近所まで迎えに来てもらい、予約時間の15分前に到着。一組のご夫婦が指導を受けているのだが、普段運動していないんだろうなあ、という体型のお二人。トレーナーさんとの会話で、仕事が忙しく、子供もいるので、なかなか運動する時間が取れないらしいことを知った。忙しいながらもあのように夫婦でジムに来て効果的な指導を受けるというのは尊敬に値するなと思った。

さて、事前説明もそこそこに早速加圧トレーニング開始。というのも、自分が以前加圧トレーニングを受けたことがあると話したことで、一気に実技に入ったというのが本当の所で、圧力は100を指していたものの、おそらく初心者向けの内容では無かったかと思えるぐらいの内容だった。

スクワット20回×3セット、ステップアップ20回×3セット、ダンベルカール20回×3セット、トライせプスキックバック20回×3セットをこなした。脚に巻く場合は最長5分、腕は10分までと何度も言われたが、これを守らないと危ないそうだ。どうしても厳しく、きつくやれば効果が上がると思いがちだが、今や適度な負荷で最大の効果を得る時代になったウエイトの世界。すでに50代になり、若い日のようにヘビーウエイトトレーニングが不用になった今、これぞ求めていたトレーニングだと確信した。

少し張り切り過ぎて、何故か右の背筋が硬化してまい、右殿筋が痛くなった。おそらくスクワットが原因だと思うが、右の股関節と左の股関節の柔軟性の差によるものかなと思える。スクワットは避けて、ステップアップで片方片方に負荷がかかるようにした方が良いと感じた。

また、トレーニング直後から感じたのだが、右膝関節(手術した膝)の伸展が満足にできなかったのが、ほぼ100%に近いところまで改善。いつも鵞足や内側が腫れた状態だったが、トレーニング直後から腫れが引いた感じになった。血流制限が腫れをも引かせ、膝の伸展位をも改善させる効果があるとは驚きだ。

こうなると週に3回もトレーニングにはまりそうだが、3,4日後もまたトレーニングする気が起きなかった。たぶん長らく負荷をかけていなかった身体にあれだけの負荷がかかっただけで、相当な負担になったのだろう。ここから学習すべきは、1回のトレーニングでは「これだけ?」と思えるぐらいのボリュームで済ませて良いということ。で、メニューを作ってみた。

脚の日:加圧ベルトを巻いた後に自転車で5分ほどゆっくり走り、外して10分休憩。再度、加圧ベルト巻いてステップアップ(37センチの台)を5分。左足開始で10回、右脚開始で10回を休みを挟まず、開始から5分になるまで。

腕の日:加圧ベルトを巻いてダンベルを持たずに腕を収縮させる。10数回行えば良い。家にあるダンベルは最小が5㎏。これでカールを20回3セット。キックバックはあまり収縮が得にくが、まずはダンベル無しで収縮を強調してキックバック。できればリバースディップスであまり深く下げないで収縮を繰り返す。これでパンパンだろう。

番外編:カール、ショルダープレス、フライ、サイドレイズ、ベントオーバーサイドレイズの5種目を各20回3セット行うというもの。相当きついだろうね。


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脛骨高位骨切り術 術後12か月抜釘後3か月

右膝関節の伸展位に進歩は感じるが、屈曲時の鵞足や膝蓋骨周囲の硬さ、皮膚のツッパリ感が解れていない。鍼治療などで無理やり緩めるよりも、日常生活の中で、たとえば階段を1段飛ばしで上がるなどして、動きの中で膝の全面、周囲の硬さに刺激を与えていくほうがイイだろうとは思っているが、左右の差が完全に無くなる日が来るのか不安。

相変わらず、前脛骨筋のこわばりと感覚の麻痺は回復せず。感覚の無いのは28歳の時の交通事故の後遺症だが、相当強く車に打ち付けたため、神経を一部やられているようだ。ただ、その筋肉が凝って痛みがあるということは、決して神経がダメになったとは言えず、その内感覚を取り戻してくれるだろう。希望的観測(笑)

ここ最近、スポーツマッサージに週一通っている。治療を受けて感じるのは、凝り固まった箇所に触れること自体が治療であり、それだけで筋肉組織に刺激が入る。それも鍼治療院の強烈に痛い指圧よりも自分にとっては効果的だと感じる。先生に指摘されたのは、大腿四頭筋を構成する筋肉のひとつである「中間広筋」の膝蓋骨に近い部分の硬化だ。この辺りは脂肪体も豊富にあって、これが弾力を失っている状態ではないかと思う。マッサージはあくまでもソフトに行うのが基本。時間を取って行うのも良いが、電車待ちの数分間で充分マッサージは可能だ。ジーンズを履いているので、指で行うのはキツいので、肘でゴリゴリっとリリースしてやる。歩き始めがスムーズになる。

整形外科の手術そのものは成功だったわけだが、その後のリハビリにまともに取り組まないと、機能的な障害と多少の左右差が残ることになる。ある程度は受け入れなくてはならないが、いやはや一生抱えていくことになるのだろうと、今更ながら気が付いた。遅い!

さて、長らく続いた脛骨高位骨切り術の術後、および抜釘後の記事は今回で一応の終了とします。また、ビッグ3種目の記録の変遷シリーズの復活と行きましょうかね。


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脛骨高位骨切り術 術後12か月抜釘後7週間

抜釘手術から2か月弱。下肢の腫れ(浮腫っぽい)も落ち着きを見せてきた。以前は職場で昼休みに30分、帰宅して30分ほど脚を高所に載せて、血流を促すようにしてやらないと、なかなか腫れが収まらなかったが、ここ数日帰宅後であっても、下肢の腫れはさほど見られず、腫れのせいで足首がうまく動かなかったのも改善されてきた。足首の可動域が制限されていたせいで、特に右の脛が凝っていたことも、今となっては頷ける。

大腿四頭筋のストレッチは左側に比べて鼠径部にまでおよぶストレッチにはまだまだの状態で、これが可能になれば、右の腰背部の違和感も消えて行ってくれるだろう。希望的観測だが・・・。左の腸脛靭帯や外側広筋の硬さは、右膝を庇っての結果だが、こちらは鼠径部の硬さが少々異常。先日、グローバル治療院で指摘されたのは、大腿部内側の硬さ。ここをマッサージしてもらってから、自分でも一般的な開脚ストレッチで大腿部の内側(ハムストリングスではない)の強力な人体や筋肉に刺激をいれるように心がけている。目立つのだが電車を待つ間の時間が利用しやすい。

下肢の状態は良いのだが、右半身、特に肩甲骨周囲の腫れがひどく、どうストレッチしても解れない。グローバル治療院でも「相当硬いですよ」と指摘されたのだが、2回ほどの通院で相当改善はされてきた。だが、もう一息なんとかならんのかいな?という思いを持って、さまざまネット検索(昔は「ネットサーフィン」と云った)していたら、骨盤調整をやたら勧めるサイトに出逢った。これはグローバル治療院の九段下にある怪我等による身体のゆがみを矯正するパーソナルトレーニングについて調べていた時に偶然出くわしたのだ。通常は「骨盤調整?骨盤をどう動かすんや?」と疑いの念が沸き上がる中年なのだが、初回料金のお手頃価格もあってか、即効予約してしまった。

そのKARADAFACTORY明大前店で1時間半のレクチャーと施術を受けた身体は、施術前とは別の身体かと思える程に変化。筋肉の左右差、肩関節の左右差が100%ではないにしても矯正された感がある。骨盤調整で予約したんだが、ほぼ頭部調整のみで、肝心の骨盤にはほとんど触れない治療だった。

身体の変化で感じたことは、腹筋が緩んだ、大腿部の張りがほぼ消えた、右側の鎖骨が左と同じ高さになった、右の上腕骨の肩関節内への収まりが良くなった、など。頚椎周囲を調整することで、エネルギーの循環、つまりは血流がよどみなく体全体に行きわたるようになり、これまでそれが至らなかった部位へも血流が促され、自身の身体が本来あるべき状態になってくれたと言える。この治療も膝のリハビリと併せて取り組んでいくが、KARADAFACTORYでのホリスティック治療が膝のリハビリを補完する形になりそうな気がしてきた。膝のリハビリは言うなれば局所的な治療になりがちで、木を見て森を見ずになりはしないかとは思っていた。良い治療法を引き寄せたのかも知れない・・・。


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脛骨高位骨切り術 術後12か月抜釘後5週間

抜釘手術が終わって早いものでひと月ちょっと経過した。膝関節周囲に劇的な変化は無いものの、伸展位に不満があった件は、腸腰筋や大腰筋(主に右側)をリリースすることで変化が見られた。所謂「骨格に立つ」姿勢が右脚でも可能になってきたということで、これは誰にも詳しく話していなかったが、ずっと願っていたこと。日常生活の張りにつながっていると思う。もちろん無理して急いで歩いたりすれば少しは痛みは出るが、ゆったり歩くのであればそこそこ距離を歩けるし、以前に比べて脛の腫れもひどくない。さすがに、仕事を終えて帰宅した時は多少の腫れはあるものの、脚を椅子に載せて10分も休んでいれば引く程度の腫れ。後は駄目押しでアイシング。これは半永久的にやることになるだろう。

日常生活面では、やたら生活臭がする話で申し訳ないが、庭に出て洗濯物を干して部屋に戻る時、無意識に手術した右脚を先に部屋側に載せて上がっていることに気が付く。無意識に脚が出ているので、これはもう細胞レベルで完治に近づいていると言えなくもない。来週、レントゲン撮影でボルトの穴(10箇所)がどのぐらい塞がっているかが楽しみだ。

先日、長らく使用してるビーチサンダルを見て驚いたのだが、左側の外側が異常にえぐれた感じですり減っていた。そのサンダル自体、膝の痛みが顕著になってからと術後は履いていないから、痛みが無かった頃に履いていたものと思われ、痛みが無かった時にすでに左脚優位、それも外側荷重で歩いていたのだ。これでは左脚の腸脛靭帯、外側広筋が常に緊張している訳で、緊張をリリースしてやるなどのケアをしっかりやっていないと、いすれは左膝にも症状が出てくるのではないかと恐くなった。

最近気になっているのが左の腸脛靭帯、腸腰筋の過緊張だ。ストレッチしても一向に緩まないこれらの筋肉。歩行にも悪影響なので、今の一大課題となっている。

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脛骨高位骨切り術 術後12か月抜釘後2週間

チタン・プレートを除去して2週間。21日の手術を受け、23日に退院。そして25日に職場復帰を果たしたが、この時には痛みも無く快調だった。だが、職場の都合でその週が強制的に休みになり、自宅待機していたのだが、この間に痛みが激しくなってきた。膝関節ではなく、膝の裏、特にふくらはぎの膝に近い部分が硬くなって伸びないのだ。平坦な所を歩いていると、膝関節が完全伸展しないせいか、膝折れのような状態になることがあり、不安な気持ちになった。

2月1日に職場復帰したが、この日は痛くて痛くて。まさかの時のために松葉杖を片方だけ持って出勤したが、脛骨高位骨切りの手術を受けて職場復帰した頃ぐらいの痛みがある。1年前の状態に逆戻りか?不安を抱え、退院後初めての外来診療で、「プレート外すと、一定期間痛みは出ますよ。でも、その内消えるから」とサラっと言われ、その気になっていると、徐々に痛みが・・・なんて簡単にはいきませんでしたが、ロキソニンを呑んでやると痛みが引くので、歩行には支障がない状況。でも、よくよく考えてみたら、プレートを固定するために長短10本のボルトを脛骨に打ちこんでいるのだ。それを除去したら空洞が残るわけで、これがふさがらない限り膝関節下の脛骨が安定しないのは当然。よって術後痛いのは当然ということで、やっと精神的に落ち着いた。

プレートが入っている時は前脛骨筋が硬く張っていたが、除去後は硬さが取れ(それでも硬いが)、ふくらはぎの張りが顕著になってきた。ストレッチを欠かさないようにはしているが、それよりも、歩いた後は15分ぐらい足を高いところに載せて休むなどする方が良いのではないかと感じている。帰宅して素足で過ごしていると、膝回りやふくらはぎの腫れが引いてくるので、やはり歩くことが相当な刺激になっていることは確かで、これに加えて、ストレッチを行なうと、微細な筋肉繊維の損傷を引き起こすだろうから、多用しないようにすることを決めた。それよりも、座った状態でカーフレイズをしてやったほうが、血管のポンプ作用に働きかけるので、この方が腫れを鎮めるには効果的ではないかと思う。しかしながら、これもやり過ぎないようにしないと。

3日(水)は松葉杖無しで出勤。歩きは変な格好だが、つま先の方向は左右同じで、跛行していないので、まあ安心した。帰宅途上も痛くて、階段を降りるのは遠慮した。上がる時も、大腿四頭筋の膝関節に近い部分がギシギシする感じだ。だが、買い物中に急に膝関節が緩んできて、多少なりとも骨格の上に立てるようになった。まあ、これは一瞬の出来事だと思うようにして、日にち薬だと考え、毎日1ミリづつ良くなっていくのだと信じ、地道に回復に勤めようと決めた。

余談だが、私が受けた脛骨高位骨切り術は、https://www.kawada-seikei.com/hto に紹介されているDistal-Tuberosity Osteotomyという手法で行われており、従来のProximal-Tuberosity Osteotomyの弱点である①膝蓋大腿関節の位置の変位②膝蓋骨低位③Q-Angleの変化④膝蓋腱周囲への侵襲などの懸念材料が払しょくされる優れた術式なのだ。外来診療でそれとなく執刀医に尋ねたところ、Distal-Tuberosity Osteotomyだと知り、この件でも気持ち的に前向きになれたことを付け加えておきたい。


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脛骨高位骨切り術 術後12か月 やっと抜釘手術!

2020年1月29日に脛骨高位骨切り術により、右脛骨の膝関節に近い部分を切り込みを入れ、グッと開いたその隙間に人工骨を埋め込み、チタンプレートで脛骨を固定する手術を受けた。開く角度は171度。これは大腿骨と脛骨の正中線(専門用語ではないので失敬)が1771度ということであり、相当きめ細やかな手術であるのだ。ただ、実際動画(つまりボカシ無しの本物映像)を見ると、日曜大工っぽいオペであることも感じる、そんな手術なのだ。

ググればわかるので、細かな説明は省くが、171度にすることで、それまで右の膝の内側の関節にかかっていた負担を逃がすことができ、摩耗しているとされる軟骨の再生処理と相まって、抜釘後は相当快適な生活を送ることが可能だそうだ。ただ、チタンプレートが人間の身体と相性が良いとはいえ、異物には変わりなく、これに通常より敏感に反応したであろう自分の身体は、ところどころに歪が見られ、右の脊柱起立筋、広背筋、左の腸脛靭帯、鼠径部の不具合は1年続いたのだ。

2021年1月20日入院。10時に到着すべきところ、11時と勘違いしていて遅刻。それでも、焦っても仕方が無いと腹をくくり、「遅れます!」と病院に連絡。堂々と40分遅れで入院手続きを終え整形外科6階東病棟へ。迎えてくれたのは、前回の手術の時に嫌な印象を持った看護師(女)だった。言い方が嫌味っぽくて、癇に障るのだ。それに言わなくていい一言が多い。当時、同部屋だった男性患者も似たような思いを持っていたようだ。どこにでもああいう人はいるもので、今回は気にしない、あまり関わらないようにしようと決めた。

さて、手術より心配なのが血圧だ。前回は170-100ぐらいの血圧で、さすがにその値では全身麻酔など不可能ということで、延期。2週間循環器内科で血圧治療を受け、めでたく本来の手術となった経緯がある。果たして血圧は?担当の看護師さんも事情を知っていたのか、「よかったですね、129-87ですよ!」と笑顔。この数値で一気に肩の荷が下りた気がして、急に眠くなってしまった。

手術は21日午前9時から。8時には手術着に着替え、お迎えを待つ。執刀医の先生が「今日はよろしくね」と挨拶に来られた。相当高名な名医だが、とても気さくな方だ。もっとも尊敬できるのはネガティブなことを一切言わないことだ。脛骨高位のこの手術を躊躇なく受け入れたのも、この先生の人柄によるところが大きい。

今となっては手術直後のことは記憶に無い。確か、腹が空いただとか発したのではなかろうか?前日は夕飯の後は何も食べず、お茶だけ。朝は抜きなので、ほぼ胃には何も残っていないはず。カステラぐらい消灯前に食べておけばよかった。

部屋に戻り3時間ほど人工呼吸器を付けて寝たままでいなくてはならない。正直、この時間が一番苦しい。動いてはダメで、当然トイレにも行けない。今回も尿瓶を使わせてもらい2回ほど用を済ませた。特段、水分を摂取していなくても案外大量の小水が出るものだなと再確認。通常、小便器に向かって済ませるだけで、瓶に入れるなんてないからね。検尿の時以外。

1回目の手術と同じ個所を切開して、脛の骨を固定していたチタン・プレートとボルト10本ほどを抜釘。当然だが、ボルトが入っていた箇所は穴が開いているし、プレートが付いていた辺りは他の箇所に比べて化骨が進んでいない。完全に穴が埋まるまでにはどのくらいかかるのだろうか。また、切開した箇所の皮膚のツッパリにより、膝関節の屈曲が術前より相当悪くなり、痛みも抱えることになった。まずは、リハビリで覚えた膝関節周囲の皮膚を柔軟にするマッサージと膝蓋骨を上方に引っ張り下腿の伸展、屈曲を行なうしかない。屈曲時に膝回りがグキグキ音がするが、決して嫌な感じはしない。

術後1回外来受診をしたが、傷口の確認はせず。抜糸はいつですかと尋ねると、抜糸は無いとのこと。中で縫い合わせて、上皮は縫い合わせていないのだと。次回、詳しく尋ねる必要があると思い、深い質問は避けた。縫合した半月板の回復具合は良好で、関節軟骨がところどころ再生してきている様子が内視鏡検査で撮影した画像で確認できた。だが、これが軟骨だと説明されなければ何が何だかわからんというのが正直なところだ。

術後感じたのは、膝関節の伸展位が伸びたこと。これで骨格に体重を載せて立てるようになれたわけだが、どうしても四頭筋優位の脚の運びになるため、四頭筋や内側広筋が非常に張りやすい。こうなると膝周囲の筋肉が硬くなり、膝の伸展を阻むことになる。普段から伸展位に気を配ることと、膝に近い部分の四頭筋や内側広筋を毎日解すように心がけるしかない。

プレートを外した今が本格的なリハビリの始まりだ。気持ちをポジティブに保ち、元の動きを取り戻すために精進してきたい。


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脛骨高位骨切り術 術後11か月

2020年12月末で術後11か月経過したわけだが、その12月中に正式に抜釘手術の日程が決まった。2021年1月7日だ。だが、執刀医からよんどころない事情で延期となり、21日が術日となった。延期の理由は東京逓信病院のホームページを検索して読んでいただくとして、こちらとしては血圧のコントロールという意味では、正直助かったというのが本当の所。年末年始と酒の日々だったため、恐くて血圧など計測していなかったので、予定通り入院して、術前検査で高血圧で手術延期という笑えない状況をなんとか回避できたわけだ。

つい先日、恐る恐る血圧を測定してみたが、139-91で、思ったより低かった。もちろん帰宅後食事を終えて、部屋で待ったりしている時の数値なので、病院のベッドで測定した場合にどう出るか計り知れない。せいぜい、処方してもらった薬で下げておくしかないというのが現状できる最大限なのだ。

さて、本日1月20日(水)の午前3時前。10時までに病院入りしなくてはならないが、早く寝ても結局夜中に起きてしまう。やはり手術を前にして少々エキサイト気味なのか?パワーリフティングの試合前のあの緊張感とは少し違う感覚なのだ。要するに、試合は頭の中でシミュレーションできても、手術はそれが出来ない。自分でやるわけじゃないしね。

さて、術後の入院日数だが、執刀医の話では3,4日で退院できるだろうとのこと。但し、全身麻酔での手術なので、一定の危険性は免れない。ここは執刀医を信じて身をゆだねる以外に道はないのだ。

退院してまもなく緊急事態宣言が解除されるだろう。そうなれば宣言期間中休業している新宿三丁目のパブも営業再開するだろう。そうなれば不良外国人の面々と再び会えることになる。リタイアして悠々自適の連中は、高田馬場で葉巻の吸える店を見つけて楽しんでいるようだが、退院後にパブが再開するまでの期間、高田馬場まで行ってみようかと考え中。

酒の話になって筆が進んだ(笑)


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脛骨高位骨切り術 術後10か月

11月末で術後10か月を迎え、12月に入って術前検査を受診。病院内を上へ下へと歩き回らされて、調子のよかった右膝が痛くなった。ただ、痛くはなっても腫れることがほぼ無いので、良い傾向だと思ってはいる。術後間もない時期から半年ぐらいまでは、帰宅すると膝の周囲が腫れていて、氷嚢に氷をたっぷり入れてガンガン冷やすのが日課だった。家にいても、何故だか腫れている時があって、テレビ観ながらガンガン冷やすことだけはずっと継続してきた。氷嚢を膝に固定したのは良かったが、そのまま寝てしまって、なぜだか氷嚢の口が開いてしまい、マットレスが池と化したのが懐かしいぐらいだ。

術後10か月の膝の状態は、手術直後では想像できないぐらいに回復している。特に階段を下りる時につま先から地面について荷重し、次に踵が付くフォームが復活してきており、階段を昇る以上に複雑な身体動作がここまで回復してきていることに驚きと喜びでいっぱいの今なのだ。階段の昇降で降りる動作は、筋肉が引き伸ばされながら筋力発揮をするのであり、現在自分の体重を全部右脚に荷重することができているのは、すでに完治の域に入ったと言える。もちろん飛んだり跳ねたりはまだしていないが、これはもっと先でも良いと思っている。

こうなると本格的にリハビリからウエイトトレーニングに移行する時期では無いかとさえ思えてくる。ただ、抜釘手術前の大事な時期に、たとえ上半身だけであってもトレーニングをすることで、身体へは過負荷となるはずのので、術後の楽しみとして取っておこうと思う。

さて、その抜釘手術は年明け早々に実施される。手術より厄介なのが血圧だ。脛骨高位骨切り術の前の検査で、血圧が高いという理由で2週間延期になった経緯がある。抜釘手術はメインの骨切り術よりは簡易な内容だが、やはり全身麻酔を施すので、甘くは見ていられない。年末の時期、何かと酒が入る(と言っても普段からそういう生活だが)。膝のコンディション以上に血圧のコントロールが急務だ。

脛骨高位骨切り術 術後9か月

10月末で術後9か月となった。ここ1週間ほどで膝関節の伸展に進捗が見られ、足を踏み出し、荷重して蹴りだす過程で、膝の裏の伸展感覚が左膝の具合と遜色ないぐらいに回復してきた。もともと、交通事故の後遺症で右ひざの伸展制限が多少あったのだが、それ自体を払拭してしまうぐらいの回復ぶり。ただ、膝蓋骨の動きが左のそれに較べて多少の制限がある。膝蓋骨、いわゆる膝の皿の左右の動きは申し分ないが、上下の動きがイマイチ。膝の屈曲で膝周りにツッパリ感が残っているのも、一つの原因だが、今後は屈曲制限突破にも心血を注がねばならない。伸展位の回復より、屈曲位の回復の方が取り組みやすいが、無理やり正座するなど、酷使する手法は、決してやりたくない。

さて、11月24日に2か月ぶりの整形外科受診となる予定だが、この日に手術日の決定をしなくてはならない。年末は忙しないので、正月明けの4日あたりにしようか思案中。その週だけ入院して翌週から職場復帰できるし。

チタンプレート外しても、ボルトを入れた骨はそこだけ空洞になるはずで、これがしっかり化骨するにもそこそこかかるだろうから、喜びのあまり飛び跳ねたりしないように気を付けないと。