脛骨高位骨切り術 術後7か月

筋トレ指南を標榜しておきながら、術後のリハビリに話ばかりでつまらないなと思う人は、おそらく怪我や手術など経験したことの無い方でしょう。自分もこのような状態になるまで、怪我やリハビリなどについては関心が無く、せいぜいコンディショニングに関心があるぐらいでしたから、他人様のことをとやかく言えないのです。

さて、妙な前置きはさておき、8月末で術後7か月を迎えました。なんとか早くよくなって欲しいと前を向いてばかりだったので、1か月目、2か月目はどんなだったのだろうかと、自身が書いたブログを紐解かないと思い出せないぐらいです。やはり人間は苦しく辛い経験は忘れてしまう、いや忘れたい生き物なのだと思いますね。ですが、自分の身体の痛みは忘れても、他人様の痛みは理解してやれる人間でありたいものです。

術後7か月で、まだチタンプレートは脛の骨を固定したままです。ですが、脛を触ってみても、どこにプレートがあるのか判然としないぐらい馴染んでいます。いっそのこと、溶けて骨に変化してしまえば良いのにと思うと同時に、将来そういう材質のプレートが開発されるかもしれないと思ってみたりしています。臓器や皮膚を縫い合わせる糸がそういう材質のものがあるわけなので、骨を固定するプレートがそうならない理由は無いわけです。こんなものがあったら良いなと思う気持ちが新しいものを生むのだと信じたいですね。

なかなか本題に進まないわ(笑)

結論から言いますと、骨の化骨はすこぶる順調です。ただ、縫い合わせた半月板と、軟骨再生加工(ほんとに再生するんかな)をした内側の膝関節の状態は、抜釘(プレート除去手術)時に、内視鏡で検査して初めてわかるはずです。もちろんMRIも駆使してだと思います。

膝関節という複雑怪奇な関節にメスを入れたわけですので、術前(自分の場合は28歳の自の交通事故前)の状態に膝関節が戻るわけではありません。健常な膝に比べて、疲労が溜まりやすかったり、時には腫れたりすれば、適切なケアが必要です。また、長距離を歩いたりは控えなくてはならないはずです。こう考えるとネガティブになってしまいますが、術前のあの膝の痛さを考えると、雲泥の差です。これは考え様で、いかに今の自分の身体の状態を受け入れるか否かが大事。まずは現状を受け入れて、一瞬だけ満足して、さてまたさらなる回復のためにリハビリ頑張るぞ!で良いと思います。

自分の膝関節の疾病は一般的には「変形性膝関節症」です。ですが、これによって死に至るわけではありません。お笑いタレントの名言で「生きてるだけで丸儲け」というのがありますが、今の自分にはこの言葉が妙に刺さります。この症状を得たのも、何かの縁だと思い、一生付き合って行く他ないのです。

https://www.hospital.japanpost.jp/tokyo/shinryo/seikei/owhto.html

東京逓信病院 整形外科 膝骨切り術(ひざこつきりじゅつ)について から引用

脛骨高位骨切り術 術後6か月

7月末に術後半年の経過観察に行ってきました。今回はCTスキャン撮影。ほんの数分で終わるので、早目に行かなくても良かった。次回はおそらくMRIかなと思ったが、MRIは抜釘の前に行なうので、まだまだ先だ。

骨は順調に回復しており、中心部から増殖中、とお話してくれた平岡先生。今後、固定しているチタンプレートが取れると、そこにある程度圧力が加わるため、化骨が加速されるとのこと。つまりは、抜釘後はある程度の痛みや歩行し辛さを覚悟しておかないといけなということだと理解した。

ただ、ここ数週間の間、ふくらはぎがパンパンに張ることが多く、歩行時に脛が痛むことが多く、膝裏も併せて筋緊張が激しいため、これを膝関節の痛みと混同していたようだが、この原因はリハビリラボの理学療法士の診察で判明。ヒラメ筋が異常に硬くなっていたので、これを下腿内旋を意識しながらリリースし、長母指屈筋の一風変わったストレッチを指導してもらった。

その後、歩行時にやたら内側広筋に負荷がかかる状態はなりを潜め、膝裏の軽いストレッチを感じながら歩行できていることを確認。日曜日はそこそこ歩いたが、朝起きた時の下腿の腫れや痛みも無く順調に回復していると実感。見通し明るいな・・・。

以下、指摘された箇所の筋肉について掲載しておきます。

Soleusがヒラメ筋で、自分の場合は右脛骨の内側のそれが硬化していた。

腓骨の途中が起点で、足の親指にまで伸びています。

脛骨高位骨切り術 術後5か月

1月29日の手術から5か月が経過した。カチカチだった膝関節周りの皮膚組織も柔軟性を取り戻してきてはいる。伸展制限を突破することに心血を注いだこの5か月だったが、以降は屈曲にも力を入れていくべきだと感じている。

執刀医からは「入浴時に湯船の中で正座をして、最終的には床の上でできるように」と指導された。脛のプレートも取れていないのに、正座とはご無体なという気分だが、屈曲させることで四頭筋がストレッチされるので、その効果を得るだけでもやる価値はありそうだ。しかしながら、軽くジョギングでも初めてみても良いと言われたのには閉口した。

理学療法士の先生にその件(ジョギング)を話してみたが、「えええ?」というリアクションとともに、勘弁してくれよ・・・的な表情が見て取れた。大病院ではリハビリ科は整形外科の中の組織で、医師の下に位置する。だから、リハビリのメニューは医師の言うとおりにしかできない。よって、理学療法士がいくら「このやり方の方が良い」と思っても、患者に施術できないというジレンマがある。だからこそ、コンディションラボの療法士は病院組織に背を向けたのだろう。

さて、いまだ埋まっているチタンプレートはいつ取れるのだろうか?医師は11月ぐらいにでもできそうだ(今の化骨の進捗状況なら)と言ったが、術後10か月であれば妥当な所だろう。どれだけの入院日数がかかるのだろう?それにも増して、また全身麻酔をするとなると、非常に憂鬱な気分になる。

術後5か月。そうそう書くこともないな・・・。

脛骨高位骨切り手術 術後4か月!

1月29日の手術から4か月が過ぎた。入院中、限られた空間の中、とても生活が楽だったが、一旦退院して娑婆に出ると、さまざまな荒波に揉まれる。当初は戦々恐々としていたが、緊急事態宣言前までは、たまにアイリッシュパブでGuinnessとJamesonを飲みながら葉巻を楽しむなどしていた。松葉杖ついて酒を飲みに来る客なんて、そうそういるもんじゃないだろう。

術後3か月頃には非常に状態が良くなったはずだが、その後軽いギックリ腰の症状が出てしまった。コロナウイルスの蔓延による在宅勤務と自粛生活でストレスが溜まったのかわからないが、身体の油切れ状態を感じた。宮崎台のコンディション・ラボでは右の腰腸肋筋と左の腰方形筋の硬化がぎっくり腰寸前の身体の原因だと言われ、トリガーポイントに刺激を入れていただき、速攻で痛みが消えたのだが、ファンダメンタルが脆弱なため、鍼治療を数回受けて、まあなんとか回復基調になってきたというところ。

専門的な話になるが、左の正常な膝関節の動きに比べて、右膝(手術した側)は下腿の内旋が左の下腿ほどできないため、歩行時に不都合な動きとなり、大腿部外側に疲労が溜まりやすくなっており、先に述べた背中の筋肉の硬化も手伝って、その症状を加速させていた。で、まずは内旋の動きを意識して行う運動を2,3程試してみたが。やり過ぎてかえって痛みが増した(笑)

今の課題は縫合した傷口周囲の皮膚の柔軟性を回復させること、膝上の脂肪体を良くマッサージして、膝の伸展位をさらに確保することだ。一旦は左と同じ伸展位になるものの、調子に乗って歩くとまた腫れて元に戻ってしまう。でも、一旦は完全伸展したのだから、すでに身体はそれを覚えているわけだから、めげずにリハビリをやっていくしかない。理学療法士の先生からは「歩き過ぎ!」と言われているので、出勤日は仕方が無いにしても、休みの日は極力歩くことをしないようにしようと思う。医師からもまだまだ歩いて回復させる段階ではないと言われているので、自己判断しないでやって行こうと思う。いつかは治るわけですから。

再開したジムもあるようで、早速入会してと思ったけど、わざわざ感染のリスクを冒す必要も無いと思うので、当分は自粛します。もう一部屋あれば危惧購入してトレーニングするんだけどね。

脛骨高位骨切り手術 退院後の状況

3月14日(土)に無事退院しましたが、退院日が雨ということで、これからの困難な道の暗示を感じました。ただ、困難は努力してなんとかするものであると思っているので、覚悟をする意味では良い天気だったのだと思うことにしました。

退院の翌週火曜日に外来診察。当日は循環器内科も受診しましたが、各種検査が3件ほどあり、レントゲン撮影含め、検査室と外来を行ったり来たりさせられて閉口しました。院内は松葉杖でも歩きやすいので、外よりはましですが、余計に歩くことは今の段階では控えたいのです。まだ骨が化骨していないのですから。

循環器内科受診の件は、すでにブログに書いたように、術前検査で高血圧、心臓左心室異常、低カリウム症が見られたため、それらの治療を先に行う必要があったからであり、退院後の整形外科の外来診察日に一緒に、ということになったのです。

血圧は140-80と少し高め。医師からは血圧計を購入して、起床後に測定し、メモしておくように指示されました。処方された薬は入院中と同じですが、ケーサプライというカリウム薬が町内の薬局には無いため、バナナを食べるように薬剤師から言われました。病院に問い合わせたようです。バナナは好きですが、果糖の塊ですので、サプリメントで摂ることにしました。

手術については全く問題無く終えられたので、後は縫い合わせた傷口、いえ、医療用のホチキスで留めた傷口からの感染症だけが一番の注意点で、毎日傷口は医師の診察を受けました。何がいけないのか、なかなか傷口がふさがらず、退院してからもまだ上皮が開いたままです。風呂には入れませんがシャワーはOKなので、ガンガンお湯をかけまくっています。もちろん入浴後はゲンタシン軟膏をたっぷり塗ってお休みです。

さて、一番の気がかりは膝関節の伸展、屈曲です。医師からは伸展制限について早めに完全進展位を獲得しておかないと、伸びないままになると言われ、また「麻酔中は完全伸展したんだから」と言われ、その気になりましたが、麻酔中なら当たり前ですね(笑)それでも、伸展については膝裏の硬化よりも膝蓋骨周囲の硬化がブレーキかけていると感じていたので、それほど焦ることなく構えていました。入院中のリハビリは筋力を落とさない、保つための種目が多く、後半になって初めて半膜様筋のリリース手技が受けられただけで、もう少し早い段階で受けたかったですね。残念。

で、外来時にリハビリも受ける予定だったのですが、医師からの指示は無く、リハビリの先生からは「先生の指示が無いとダメなんですよ」とのこと。後で感じたのだが、病院勤務の理学療法士は自ら手技を磨く機会はあっても、それを発揮する機会は無いのかなとも感じました。

そこで、退院後のリハビリは自分で見つけなければならず、まずはかかりつけの整骨院の院長に連絡しました。退院する週の水曜日にやっと返事が来ましたが、まさに半膜様筋の件をお話しされていて、やはり名治療家だと思いました。それでも、もっと良い施術をお求めて検索していたところ、川崎市にある施術院の動画に出逢いました。ピンときた私は早速メール。3月19日(木)に受診しました。

この治療院で受けた手技はまさに目からうろこで、あれほど伸びなかった膝がスパンと伸びてしまいました。特に膝裏の伸びが著しく、驚き桃の木山椒の木、ブリキに狸に蓄音機って感じでした。それでも膝の前の硬さはリリースされておらず、この箇所については電気工事用の手袋を装着して、硬くなった皮膚をガシガシ動かす手技を行ないました。関節の中はともかく、現状、膝周囲の皮膚表面が硬いゴムのようになってしまっています。これは今回の術後に現れたものより、以前から硬くなっていた箇所でもあり、手術以前に解しておくべきだったと反省。

すっかり伸びた膝関節で気持ちよく帰宅しましたが、緩んだせいか、関節の痛みが襲ってきました。ですが、そのまま帰宅するのももったいないので、九段下まで行き、都営線に乗り換え新宿三丁目まで行きました。そこからは葉巻を買い、アイリッシュパブへ繰り出したのです。そんなコンディションでアルコール?と言われそうですが、週に2回ぐらいなら許そうと思います。若い時のように毎日飲んでいた頃から比べると酒量はグッと減っているのです。

次回は3月27日(金)に受診です。さて、どんな手技を受けることになるのでしょう。非常に楽しみです。

※動画は自宅でセルフでできる手技として紹介された内容です。誰にでも当てはまるというわけではないと思いますので、試される場合は自己責任でお気をつけて行なってください。

https://www.youtube.com/watch?v=CGic32QqZ-I


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脛骨高位骨切り術の術後経過について

無事、正常とされる血圧(130-70程度)に落ち着き、一旦退院した後再入院し、1月29日(水)午前9時過ぎに手術室へ入室。当初30日(木)のはずだったが、27日(月)入院時に「水曜日になりました」と看護師からサラっと言われ、「じゃあ、夜「相棒」観れるかな」とどうでも良いことが心配になった。今となっては観たかどうかさえ記憶にない。

メインの手術は右脚の脛骨の内側、膝関節に近い部分を文字通り「骨切り」して、その箇所をグイっと広げる。見た目(見たことは無いが)楔の形になる。そこで、荷重が大腿骨、脛骨の中心を通るように楔の広げる角度を調整するのだ。広げた状態でメタルプレートで固定し、楔を人工骨で埋めていく。この時、化骨がうまくいくように人工骨をいかに埋めるかが重要なのだそうだ。(執刀医談)

無事、人工骨を埋め込んだら、患部に血抜き用の管を入れ皮膚を縫合。メタルプレートはそこそこ大きくて、その部分を触ると当然硬い。異物が体内に入っているだけに妙な感じだ。術後は3時間寝たまま。尿用の管は麻酔が切れる前に抜いてもらったので、尿意を感じだと気は、痛みに耐えて自ら尿瓶を使っておこなった。だが、3,4回目まで、尿道が強烈に痛んだのだが、あの痛みは二度と経験したくない。

メインの手術と書いたが、ではサブはあるのかと思われると思うので、ついでに書いておく。実はもともとの膝痛の原因は半月板損傷で、内側の後方の箇所が痛んでいた。同時にその部分の軟骨も傷んでおり、この2つについては、骨切りに先立って手術を行なっている。内視鏡での手術だが、東京逓信病院はこの分野では世界的に有名なようだ。

術後の幹部の痛みは筆舌に尽くしがたく、今思い出してもゾッとする。でも、手術はうまくいったわけだし、痛いのは生きてる証拠だと言い聞かせ、我慢強くリハビリに耐え、術後1週間あたりから、ストレートレッグレイズがなんとかできるようになった。当初は両手で支えないと上がらなかった右脚だが、おそらく筋力が無くなったのではなくて、痛みによって脳が筋力を発揮しないように制御していたのではないかと思える。

現在のリハビリは体重の半分を右脚にかけることができるレベル。明日(2月19日)で術後3週間になるが、おそらく体重の4分の3までの荷重にレベルアップされるはず。予定では術後4週間で退院だが、その時の自分が全く想像できないので、今からやたら不安に苛まれている。おそらく松葉杖無しでの歩行は無理だろう。

高血圧治療、心臓左心室異常、その他について

脛骨高位骨切り術を受ける術前検査で手術が延期されたことはすでに書いた。で、今回、循環器内科の医師から指摘された件についてメモ的に書くとめておくことにした。

まず、高血圧。これはすでに10年以上前から150-90ぐらいの血圧があった。町内の医療機関では薬によって一時的に血圧を下げると同時に、食事やサプリメントで正常値を維持する方向となったが、薬の処方がだんだん面倒臭くなり、次第に薬を飲まなくなってしまった。降圧剤等を副作用があるとして、使用しない方が良いという内容のブログなどの影響もあったが、血圧が高い高いと言われ続けてうんざりしてしまったというのが本音で、血圧と聞いただけで嫌な気分になったものだ。今でもそれは変わらない。

巷の健康に関する書籍やネット上の記事を見ると、降圧剤の副作用のことが数多あり、次第に150-90でも問題無いのではないかと考えるようになった。実際、Facebookのあるグループの記事内容を基に判断すれば、150-90など高血圧でも何でもなく、50代としては当然このぐらいあって可笑しくない値と言える。ただ、全身麻酔で手術を受けるとなると話は違う。数値的に問題無い範囲に値が無いと、手術はできないのだ。そういう意味では今回の術前の2週間の入院は一時的に血圧を下げるだけが目的であり、一時的な処置だった。

骨切り手術後も血圧の治療は継続されるが、降圧剤だけは御免。高血圧の原因は多種多様だが、自分の場合は過体重。食事も多少影響しているが、血糖値は正常で糖尿病の兆候は全くないので、多少なりとも体重、つまりは体脂肪を減らすことに専心すべきと考えている。やるべきは糖質制限とメガビタミン、ミネラル、高蛋白質の食生活であるが、今までより少ない量でこの食事法を全うするのは少々難しい面もある。自炊すれば良いではないかと言う意見があるが、自炊は案外たくさん作ってしまいがち。コンビニやオリジン弁当をうまく利用すいるのも手だ。

心臓の件は寝耳に水だった。異常とまでは行かないけれども、左心室の動きが数値化されたデータから判断して、動きが弱いのとのこと。左心室も含め、造影剤を投与してのCTスキャン検査では血管等に問題は見られないとのこと。左心室がおそらく血圧が高いために疲労しており(血液を押し出す力がより必要)、それが原因だろうとのこと。結局は高血圧に帰結するのだ。

その他、指摘のあった件は低カリウム症と原発性アルドステロンがあったが、文章化するには非常に難儀であるため、今回は省くが、アルドステロンについては副腎のCTスキャン撮影で問題無しと診断された。副腎に良性の腫瘍ができて、それが血圧を上げるホルモンを分泌するというのだ。血圧が高いからと言って、投薬一辺倒では治療としては不完全で、なかなか血圧が下がってくれない場合はこれを疑ってみることも必要だと思った。

低カリウムもさまざまな要因が重なって発症しており、カリウムのサプリメントを摂取するなどという方法で治療できるものでは無いと思ったが、医師のとりあえずの指示は「バナナを食べなさい」だった。ちょいと拍子抜けしたが、それ以降、1日2本は食べている。果糖を避けたい気もするが、カリウム補給のためならと我慢して食べている。

さて、整形外科の手術とは言え、内科検査で問題無しと診断されない限り、手術は受けられません。ほとんどの手術は全身麻酔で行われます。まさかの時のために、血圧の正常化と、内分泌関連の検査を年に一回で良いので、受けておくことが大事だと思います。

正直、本来の手術前に2週間も血圧等の治療で入院する羽目になり、憂鬱な時間を過ごしましたが、今となっては悪い箇所とその症状が判明したので、かえって良かったのではないかと思います。

さて、1月30日が手術予定日です。現時点では脛骨高位骨切りに併せて、半月板の補修作業も行われます。おおよそ5時間ぐらいかかると聞いています。途中で麻酔が切れませんように!


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入院するも手術は延期!

恒例のフィリピン・セブ旅行から昨年末30日に帰国し、翌日の大晦日に愛知県の実家へ帰省。母が昨年7月末に急死したため、27年前に亡くなった父と母の遺影が待つ実家へ帰省することになった。5か月閉め切っていたため、早速全窓、扉を網戸にして冬の冷たい空気を入れた。幸い大晦日は暖かく、夕方になっても寒さを感じるほどではなく、天候に感謝。それでも日没後はさすがに冷える。夜8時頃にすべての窓、扉を閉めた。

誰もいない実家で独り寂しく正月を過ごし、5日朝の新幹線で帰京。誰かと会ったかと言えば、隣に住む叔母(母の弟の嫁さん)と焼き肉を食べに行ったことだけだった。

新幹線は今回初めてネット予約してみた。前の日の昼過ぎあたりだと、のぞみの指定席がそこそこあったが、夜になると軒並み売れてしまっていて、結局ひかりのグリーン車を買う羽目になった。今回のセブ行き帰りはビジネスクラスだったので、新幹線もグリーン車でもイイやって気分だったので、迷わず予約。というか選択肢はグリーン車しかなかった。

さて、ここからが本題。1月7日に入院し、8日に脛骨高位骨切り手術を受ける予定だったが、術前検査で心臓の左心室の動きに多少問題があるため、手術は延期となり、まずは心臓のケアをすることになった。加えて血圧が相当高いため、こちらも投薬によって抑える治療を受けることになった。それに伴い、整形外科病棟から循環器科病棟に転院。当初190-110ほどの血圧が148-86にまで下がったが、主治医は「130以下を目指して治療します。そしうしないと膝の手術で全身麻酔が心配だからね」と。

当初は入院期間が延長され、なおかつ、循環器治療の結果いかんでは、膝の手術自体も無期延期になってしまうのではないかと言う危惧に苛まれ、イライラが募ったが、次第に、心臓に不具合が見つかって良かったのではないかと思る様に心境が変化した。確かに、膝は痛くてもロキソニン飲んで、松葉づえついて歩けるが、心臓にもしものことがあれば生命にかかわるのだ。当然、治療のプライオリティは心臓ということになる。

14日に心臓の血管の検査を行い、結果いかんで膝の手術をやるやらないが決まる。主治医は「たぶん、大丈夫だろうと思うけど」と多少楽観視しているが、やはり診てみないと確固たることは言えないのは当然。全身麻酔というのはそれだけリスクのあるものだということだ。


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おそらく手術となる見込み

全回の半月板損傷の件からずいぶん経過してしまった。あれから新たに病院を探し、セカンドオピニオンを求めることにした。結局、東京逓信病院で診てもらうことにした。9月20日に右膝のMRIを撮影し、その先週に撮影した左膝の結果を踏まえて、整形外科の平岡先生の診断を仰いだ。

結論から言うと「手術」しかないとのこと。と言っても膝関節にメスを入れるのではなく、大腿骨と脛骨の成す角度を今より限りなく180度(実際には170度ぐらい)に近づける「脛骨高位骨切り術」と言う手術を行うと言うのだ。先生自身、これまで多くの膝関節症患者のMRIを観てきたわけであり、自信満々に「手術」と云うには、予後も良好であるはずとしばし安堵するのであるが、やはり「手術」自体に不安はある。

手術は2時間もあればできるらしいので、それほど体力を削ることもないが、その後の入院が最低3週間もあるのだ。ベッドの差額題でいくらかかるんだよ!って叫びたくなる。ネガティブな面をさほど気にする必要は無いと思うが、多少の痛みは残ることと、脛骨の角度が変わるので、足首への圧のかかり方も変わるはず。その際は足底板で微調整するのだが、そんなもの一生付けていなければならないなんて御免だ。足底板入れなくても足首に支障が無い程度の角度調整であって欲しい。

まず、症状の重い右側を手術。時期的には1月末かな。で、1月後半と2月前半は入院生活して、すぐに職場復帰できればいいのだが、多少の期間自宅療養させてもらい、復帰は2月後半ぐらいを考えている。28歳の時に交通事故で入院した時、退院したのが10月6日あたり(事故が8月16日)で、その月は自宅療養させてもらったので、似たような措置になるはず。

左は右側の脛骨が化骨して歩けるようになってからになるが、最低でも半年ぐらいかかるとのこと。骨を固定しているチタン合金を取り外す手術があるのだが、これは入院に必要はあるのだろうか?左は右と同じ時期にするのが良いとは思っているが、医師も冬季に行なう方が金属固定している部分からの感染症のリスクが低いので、冬季を勧めている。

当分不自由な生活になるが、少し前にパラ水泳世界選手権で観た、障害を持つ選手らの力泳を見て、「彼らに較べたら、膝の痛いのぐらいかすり傷だな」と思う。多少の痛みは残っても、快活に歩ける生活に戻るために、ワクワクした気持ちで手術に臨うと思う。


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半月板損傷による今後の人生

今日はちょっとだけ個人的な、嘆きに似たような内容を書いてみようと思います。そんなもの聞きたくないよ、って人はページをクローズしてください。

ここ1年程前から膝の内側が痛み出しました。当初は鵞足炎や単なる大腿部の筋肉の硬化による関連痛だと思っていましたが、近所の整形外科で軟骨がすり減っている云々と診断され、順天堂病院では半月板が飛び出てきていると診断されました。気持ちの上では手術などする段階では無いので、他の治療を模索しました。まずは血液を採取し、それを遠心分離器にかけて血漿を取り出し患部に注射するPRP療法を試しました。1本36,000円ほどの注射を計3回。10万円ほどかかったわけですが、これにより痛くて歩けない症状からは脱しました。そうこうしている内に、今度は左膝に異変発生。右膝のあれだけ痛かったことを忘れてしまったのか、左膝の激痛、鈍痛に耐えられず、松葉杖まで購入したのです。何しろ足を地面につけるだけで内側に劇痛が走ります。

縁あって先日、東京逓信病院を受診しました。この病院は日本で初めて膝関節の内視鏡手術を行った病院で、膝の治療の症例はおそらく日本随一だろうと思います。先生を選べるので、整形外科で一番格上の先生を指名。診察が始まった頃は厳しい表情でしたが、レントゲン撮影を終えてから再び診察していただいた時は、なにやらにこやかな表情に。

様々、膝について会話をするうちに、「土屋さん、よく勉強されていますね」と先生。確かに勉強はしているけれど、それは医師が云うことをすぐさま理解できるようにするためであり、決して医師に対抗して意見を言うためではないのであり、先生がどちらの意味でそう言われたかは不明ですが、私の信条はこの通りです。

近々、両膝のMRIを撮影してからになりますが、もしかすると脛骨高位骨切り術と言う手術になるかもしれません。これにより、O脚により間が狭くなった膝の内側の関節が開き、外側と均等になることで、痛みから解放されるというもの。脛骨の傾きを変えるために骨を削る行程があり、張骨を移植するため、入院は3週間ぐらいの予定。こうなると独身者である自分の世話を頼む人が必要な訳で、手術よりこのことの方が心配の種。

両膝とも同じオペを行い、痛みも無く復帰できれば、今以上に視界が開ける気がしている。膝が痛いとあきらめざるを得ないことが多くなり、精神的にも苦痛なのだ。また、復帰と言ってもパワーリフティング選手として復帰するなど考えておらず、一般的な日常生活ができれば本望だ。だが、上半身はなんともないので、ベンチプレッサーとして復帰、再出発しようかと考えている。いや、すでに決めたのである。

なので、膝が痛くない日はトレーニングをするようにして、軽い重量でも良いから、マシーントレーニングでもいいから、身体に刺激を入れて行こうと思う。幸い膝痛を抱えてから、長年硬さが取れなかった右の脊柱起立筋が何故か解れてきているので、好都合である。

人生、いつまでも上手く行くとは限らない。困難や障害がある方が普通だろう。自分の膝痛もその内だと思って、対処していくしかないのである。

昨夜深夜に、パラ水泳世界選手権大会を観た。腕や脚を失ったスイマー達が驚くべき記録で泳ぐのだ。気が付くと涙流しながら観ていたのだった。彼らに比べれば、自分の膝痛なんてかすり傷ぐらいのモノだろう。彼らに恥じない自分になれるように、膝の治療、回復に専心しようと気持ちを新たにした。


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